2008年2月に北九州の歴史的近代建築を訪ねた旅の模様をレポートするシリーズその4です。門司港駅から鹿児島本線で戸畑駅へ。海側の駅前にはかつて明治製菓戸畑工場が存在しましたが、今は更地となってしまいました。戸畑駅前から若戸大橋を望む。この道をまっすぐ。若戸渡船方面へ歩みを進めます。
日本水産戸畑ビル(ニッスイビル)
若戸大橋のたもとの渡し舟乗り場に向かって歩くと洞海湾に面して日本水産戸畑ビル(ニッスイビル) があります。旧共同漁業ビル。1936年(昭和11)竣工。捕鯨基地として栄えた北九州を象徴するビルです。
建物隅角部に正面入り口を設け、その部分を垂直のマリオンなどで強調するという手法は、近代初期によく見られた様式建築の名残り。この建物ではその上にさらにアーチ開口のある塔屋まで載せて、体裁を整えようとしている。当初は2階にも4階のそれと同様なバルコニーがあったという。 それ以外は全くモダニズムの手法で、ほとんど装飾は見られない。〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉
このあたりの番地は「銀座」。東京の銀座にあってもおかしくない風格の建物です。
漁業用無線のアンテナが切れちゃいました。
上野ビル(旧三菱鉱業若松支店)
「若戸渡船」乗船場から対岸の若松へ向かいます。日常の足として淡々と乗船作業は行われますが、旅人にとっては5分足らずのの長閑な船旅です。
対岸の若松地区には〈上野海運〉のビルが見えています。
今回の旅のお目当てのひとつである〈上野ビル〉。旧三菱鉱業若松支店。1913年(大正2)竣工。設計者は三菱丸の内建築事務所の所長を経験した保岡勝也で、清水組によって施工されています。
当時の若松の繁栄を象徴するような入念な建物。 4階と玄関部分が増築されたため、当初のパラペットが失われシルエットが崩れてしまっており、またモルタル塗りのために煉瓦造らしさはあまり感じられない(煉瓦はドイツ製を輸入したものという)。内部は2~3階を吹抜けとし、周りに鋳鉄柱で支えたギャラリーをめぐらす。中央部天井は明かり天井とし、ステンドグラスがはめこまれている。外部のやや無骨な印象に対し、内部は繊細な時代色がある。〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉
本館は鉱滓煉瓦による煉瓦造3階建の建物で、現存する建物は玄関部1階が増築されています。最上階部も改造されているため、補修が施されていない壁部分や窓廻りに当初のデザインが残っています。今でも現役で使用されているオフィスビルです。とても枯れた味わいを醸し出す外観。テナント募集中。借りたい。出来れば住みたい。
上野ビルエントランス。石炭の輸送基地として栄えた若松を象徴する、現存かつ現役使用されている貴重な近代建築だと思う。木製ドアと板張りの廊下。渋いです。
階段を2階へ進みます。すべてが渋いです。
縦長窓を規則的に配置したシンプルで重厚な外観に対して、内部は中央が広い吹抜け。装飾付きの手摺やステンドグラスを用いた豪華な意匠が施されています。大半の部材が木造なのがさらに渋いです。
2階から3階への階段。
2階と3階をつなぐ階段の踊り場から、階下を見下ろすと、こんな感じです。2階部の吹き抜けは透過性のある素材で目隠しされています。
手が届きそうな場所にステンドグラスが。防水処理はどうやっているんでしょう。
背面に回ってきました。
上野ビルは本館のほかに倉庫棟も現存します。
上野ビルに付随する倉庫。三菱のマークが上部に伺える。
青空を背景に三菱のマークをあしらった倉庫はとても美しい。
朽木ビル
若松を象徴するビルのもうひとつが朽木(くちき)ビル。1920年(大正9)竣工。
杤木ビルは、杤木商事株式会社(現杤木汽船株式会社)が1920年(大正9)に本社として建設した事務所ビルです。
この当時としてはまだ珍しいRC造。栃木商事は造船と船舶代理業を営む会社で、こ
れはその本社ビル。埋め立て地であるのに半地下の事務室を設け、専用浄化槽を備え、水洗完備という最新の設備を誇るビルであった。1階部分は石張り風、玄関廻りは大きな円形開口のように見せ、3階スパンドレルには茶褐色のタイルに白タイルで菱形模様を配す。また軒コーニスにはライオンの頭部の彫刻を取り付けるなど、小規模ながら設計者が楽しんで造っていた様子が窺われる。設計者は旧門司三井倶楽部を設計した松田昌平。〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉
杤木商事は、1901年(明治34)に、杤木順作商店として若松町(現若松区)で創立。さらに、1915年(大正4)には、この商店が営んでいた海陸運送業、石炭販売業、代理業、請負業、鉄工造船業など一切の業務を受け継ぎ、資本金60万円で杤木商事株式会社が設立されました。その5年後に本社屋として新築されたのが、杤木ビルです。
3階建の建物は建設年代からするとまだ珍しかった全鉄筋コンクリート造が特徴です。1910年代になって、初めて全鉄筋コンクリート造事務所建築が建てられてからわずか数年後に取り入れていることからも、杤木商事の繁栄ぶりが伺えます。海風に晒される環境ながら状況は良好に思える。88年前のビルとは思えない。杤木ビルは小ぶりながらとても味のある現役オフィスビルです。
デンヒチ(旧吉田傳七商店)
ここから、JR若松駅に向かって歩きます。〈旧吉田傳七商店〉(現株式会社デンヒチ)。石炭・建築・左官材料・油脂類等の卸販売を営んでいました。明治30年くらいに建てられたらしい。現代風に改修がなされているが、京都辺りの古都にあってもおかしくない町家建築。特徴的な防火壁がここでもアクセントとなっています。
若松の本町商店街から南に少し外れたところに位置する本建築は、総2階であって出
桁はないものの、平入りに庇が付けられた典型的な町家の外観を保っている。2階の
ガラス戸は、雨戸の戸袋が備えられていることから、後設と考えて差し支えないので、この点を除けば比較的原姿を残しているといえる。かつての若松の繁栄を示す生き証人であろうか。この界隈には同様なたたずまいの建築が多くみられる。
〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉
〈バスハウス今泉〉これも特徴的な防火壁を建物両端に備える町家風建築。
最初から浴場として設計されたものなのでしょうか。現在はクアハウスを営んでいるようです。
大正町商店街
この辺りは昔からの大小の市場が散見できて楽しいです。
横浜にも私が小学生くらいまではこんな市場がありました。大型SCが若松駅付近に進出しているが、いつまでも庶民から支持される商店街であってほしいです。2008年2月に放映されたNHKドラマ「フルスイング」のロケ地にもなりました。店頭で揚げる魚の練り物を買い食いしたくなった。
料亭金鍋
〈料亭金鍋〉。1895年(明治28)創業。黒漆喰の壁と木のバランスが古さを感じさせずに保たれている。
急ぐ旅でもあり、食事は出来なかったが、もっと大人になってからのんびり訪れたいですなあ。
JR若松駅までたどり着きました。ここから若松バンドへ引き返します。それにしても、なぜこんなに大きく電話番号を掲出しているのでしょうか。
石炭会館
〈石炭会館〉。1905年(大正38)竣工。石炭の積出港として栄えた若松のシンボルのひとで、煉瓦造に見えるが木造です。
正面玄関からまっすぐに左右に枝を持つ木造階段が印象的です。
1階は石張り臨、2階には平たい柱型を取り付け、中央にバルコニー付きの玄関を置く。屋根は緩い寄練金議板警で、 外壁の1、2階の境と軒廻りに浅いコーニスをめぐらせる。全体に簡略化されてはいるが、ツボを押さえた巧みなクラシックの意匠でまとめられている。建設当初は屋根は瓦葺、鉄製の棟飾りをもち、パラペットをめぐらせ、玄関の真上の屋根には小さな屋根窓があった。明治末期の手慣れた洋風手法の好例。〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉
戸畑・若松エリア・まとめ
若松バンドから若戸大橋を望む。 〈旧麻生商店〉など近年取り壊される建物が続出し、かつてほどバンドの魅力はなくなってしまった。〈旧古川鉱業若松支店〉も魅力を感じさせない化粧直しを施され、もはや上野ビルが最後の砦といっても差し支えないかもしれません。
ここまでの撮影機材はSONYのα700と、MINOLTA AF17-35 F3.5 およびAF24-105 です。
次回は、北九州へ。歴史的近代建築を巡る旅(5)下関秋田商会と、大里の模様をお伝えします。