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北九州へ。歴史的近代建築を巡る旅(5・了)下関・秋田商会、大里エリア。 2008年2月14日


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f:id:sepyas:20200114142248j:plain2008年2月に北九州の歴史的近代建築を訪ねた旅の模様をレポートするシリーズその5。最終回です。若松を後にして一旦門司港駅へ引き返します。この後連絡船で対岸の下関まで。お目当てはもちろん秋田商会ビルです。

 

関門ビル

関門ビル関門汽船を下関側で降りると、すぐに目に入るのが〈関門ビル〉です。〈関門ビル〉は、1931年(昭和6)に関門汽船株式会社が建設したビルで、事務所として使われていました。関門汽船株式会社は、1889年(明治22)創業の、北九州市門司区に本社を置く海運会社で、門司港・唐戸間の関門連絡船をはじめ、巌流島連絡船やさまざまな旅客航路事業を運航しています。

明治期や大正期の煉瓦を併用して造る構造や歴史的なデザインを使わず、昭和の近代的な構造を追求しているのはこの時代ならではの建築の特徴で、この建物も現代の建物の意匠に近づいています。

 

旧秋田商会ビル

秋田商会ビル今回の旅の若松・上野ビルと双璧をなすハイライトがこの〈旧秋田商会ビル〉。

関門で最初のRC造建築。 施主が自ら設計を行ったアマチュア建築であり、 ユニークな発想にあふれている。 外観は化粧タイルを張ったかなり本格的な洋風建築であるが、住居部分となる上階には和室が組み込まれている。屋上には本邦初の試みとなる屋上庭園が設けられているなど、 洋風の丈夫さと和風の快適さをもつ建物である。 また、屋上に突き出した塔は印象的で、塔屋内の螺旋階段は見事である。
〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉

 

 

秋田商会ビルこうして引きから〈旧秋田商会ビル〉を撮影した写真を見るとミニチュアの模型みたいです。建物は3階建て。屋上にさらに屋根瓦と植えられた木が確認できます。屋上の見学はできませんが、離れ屋敷を中心にした屋上庭園が形成されているそうです。

秋田商会〈旧秋田商会ビル〉の正面から建物全体を見上げる。1915年(大正4)竣工。海運会社オーナーであった施主である秋田寅之助が設計に参画したRC(鉄筋コンクリート)造の先駆け的存在。日本の鉄筋コンクリート造は1910年ごろその技術が確立されたらしいですが、そこから4、5年しか経っていないのに、そのデザインの自由さは驚きです。しかしさらなる驚きはその内部にこそあります。

秋田商会外観
建物の背面へ回ってみるとここにも注目すべき特徴が。延焼を防ぐため、〈旧秋田商会ビル〉は窓の開口部に鉄扉が設けられています。

旧秋田商会ビル内部へ

秋田商会1階
1階は洋風の店舗でした。現在は下関観光情報センターとして再利用されています。秋田商会は明治38年設立で木材商と海運業を営んでいました。

秋田商会内部2階と3階は住居として使用されました。鉄製のゲートで仕切られた階段を2階に上がる。手すりひとつ取っても手が込んでいます。

秋田商会の広縁〈旧秋田商会ビル〉の2階に上がると木造の廊下が続きます。右側がRC造の外壁側となる。左側は書院造の和風の内装で設えています。この外廊下は2重窓のように耐寒性に一役買ったのではないかと思う。旅館でいうところの「広縁」です。

秋田商会外廊下の内側は障子で仕切られており、内部は純和風。このギャップがこの建物最大の可笑しさ。


秋田商会の屋上に続く木製の螺旋階段
〈旧秋田商会ビル〉屋上に続く木製の螺旋階段! 雨漏りの痕も見受けられ痛みが激しいが、その技術の高さには驚くばかり。安全上の理由で登ることは出来ない。

鉄製の防火扉の内窓
〈旧秋田商会ビル〉の鉄製防火扉の内窓です。当初からそうだったのかはわかりませんが、細かく開口部を調整できるようになっています。すごいなあ。

 

秋田商会内部西日が差し込み、いい感じです。こうやって往時の姿のまま内覧できるのが〈旧秋田商会ビル〉のいいところです。さあ、時間も限られてきました。渡船で門司港へ戻り、JR門司港駅からJR門司駅へ向かいます。夕暮れ迫る中、下関から門司港へ戻り、鹿児島本線で門司駅へ。

旧サッポロビール九州工場本事務所(旧帝国麦酒門司工場事務所)

旧サッポロビール九州工場本事務所ここ大里(だいり)は古き良き近代建築が僅かに、しかし現役で残る貴重な地域。
写真は旧サッポロビール九州工場本事務所。その昔は旧帝国麦酒門司工場事務所として、1912年(大正元年)竣工。サッポロビール事務所としての役目も終え、門司麦酒煉瓦館として活用されています。

ドイツ風のいかめしい城郭風の建物。 正面中央に破風を見せた塔屋やゴシック風隅小
塔のある勾欄式のパラペットなどが特徴的。基部以外には石を用いず、パラペットや窓台などもすべて煉瓦。内部は、 繊細な装飾模様を打ち出した金属板の天井(この時期の事務所建築によく用いられた)や暖炉、木製階段などが残されている。
〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉

 

 

 

旧サッポロビール九州工場醸造工場

旧サッポロビール九州工場醸造工場事務所棟に隣接する旧サッポロビール九州工場醸造工場。傾く西日を浴び赤煉瓦がさらに赤みを増す。こちらも1912年(大正元年)竣工。

本事務所とともに同時期に建てられたが、 こちらは赤煉瓦である。 おそらく建設資材や機械プラントなどとともに、建物設計図面も一括輸入されたものであろう。 窓台やストリングコース、キィストーンなどに白い石を用いアクセントをつけている。鹿児島本線沿いに巨大で複復雑なボリュームを見せる。かなり改造され新しいステンレスのタンク、パイプ類で取り囲まれてしまっているが、煉瓦造としての魅力は十分。〈建築MAP北九州/TOTO出版より引用〉

 

 

大里の町並み

大里本町のレンガ倉庫ここから、JR小森江駅に向かい、大里本町二丁目から一丁目を歩くと、ここかしこに煉瓦造の壁や倉庫を見ることが出来ます。

1183年(寿永3年)、都を追われた平家一門が、安徳天皇を擁してこの地に「柳の御所」を設けた事で「内裏」と呼ぶようになり、それが江戸時代に今の「大里」と改められたんだそうです。
大里宿は長崎街道に沿った直線五町五十二間(約646メートル)の町並みに旅籠や番所が設けられていたそうな。

大里本町の古民家人が住んでいるのかどうか判りませんが、半ば朽ちた建物が。写真右側の壁の下に見える石は「足掛石」といい、馬に跨るとき足場として使っていたそうです。

佛願寺の参道カメラマンの背後には〈佛願寺〉があります。そこへ向かう参道の手前には関門海峡が続く。煉瓦と木造木枠の対比が美しい。

太平洋セメント門司事業所

太平洋セメント門司事業所跡地大里から小森江駅を通り越しさらに歩くと操業を止め廃墟と化している太平洋セメント門司事業所の跡地があります。

太平洋セメント門司事業所跡地の守衛所これは有名な工場入口の守衛所です。

太平洋セメント門司事業所跡地の防空監視所そして左側の建物には軍事遺跡としても知られる防空監視所が窺える。

大里の赤レンガ構造物たち

大里本町一丁目の赤レンガ倉庫遺構大里本町一丁目には打ち捨てられたような赤レンガ倉庫の遺構がポツンと残っています。周りの倉庫群は取り壊され、写真では判りずらいかもしれないが、あたり一面赤レンガの細かい残骸が絨毯でも敷いたように残存している。うーん。持って帰りたい。

現関門製糖の煉瓦工場群大里本町一丁目には旧大里製糖、現関門製糖の煉瓦工場群が立ち並ぶ。様々な合併を経て今日に至るらしい。現役で働く赤レンガ倉庫群は見た目生き生きとしており、夕日を浴びてなお美しい。

現関門製糖の煉瓦工場群
いつまでも元気で操業してほしい。

関門製糖の倉庫これは同じく関門製糖の敷地内の倉庫。陽は大分傾き、幻想的です。

旧門司税関大黒仮置場詰所旧門司税関大黒仮置場詰所。1910年(明治43)竣工。保税倉庫ならぬ保税工場として大里製糖所は機能し、輸出量を拡大していったそうだ。

 

大里本町一丁目の赤レンガ倉庫遺構再び、先ほどのポツンと残された倉庫へ。何か目的があって残されているのか判らないが、とても寂しい2月14日の夕暮れ、大雪に始まった今回の北九州への旅、また戻ってくるよ、と言わずにはいられない。

 

北九州へ。歴史的近代建築を巡る旅(5・了)・まとめ

ここまでの撮影機材はSONYのα700と、MINOLTA AF17-35 F3.5 およびAF24-105 です。

とても二日間で見て回れるものではありませんでした。それでも「門司港レトロ」と名付けられた、JR門司港駅周辺の物件を見て回るだけでも有意義な時間となるでしょう。近いうちに改めてまだ見ていない近代化遺産を回りたいものです。


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