menehune旅写真プラス

menehuneの写真旅の記録。お気に入りの映画、書籍とアニメのインプレ、ライフハックもたまに更新。


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2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で自身に起きたことを書いておく。


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遅めの昼食を終え、15時前、JTビルロビーで一服つけていたところで大きな揺れに遭遇した。
僅かな横揺れは瞬く間に大きな振幅にとってかわり、騒然とした雰囲気に包まれた。
地震に慣れていないのであろうアジアの女性店員がスチールの柱にしがみついている。
ビルの防災センターから避難指示が流れる中、1分ほど続いた揺れが収まったようなので、会社に向かいビルを出る。
米国大使館に向かうアメリデイゴの街路樹が植わる通りに出て、ふと振り返ると、結構信じられない光景が飛び込んできた。
何年か前に耐震工事を終えた霞ヶ関ビルが、見た目にもはっきりわかるほど左右にグラグラ揺れている。
通りに避難してきた勤め人たちも、みな私が見つめるビルを半笑い的な眼差しで見つめている。

本社に向かう途中共同ビルの地下で飯もほっぽり出して逃げてきた同僚と合流し本社ビルに向かうと、そのビルは結構なことになっていた。
見る限り周りのビルと異なり、本社ビルだけが地盤から浮き上がり、基礎と上屋の境目に裂け目が生じている。
いたるところで窓ガラスが割れ、路上に破片が落下している。
ELVは動かない。
階段で上を目指すと、上から避難してきた社員たちにビルから退避する指示が出ていることを知らされ、階段を再び1階に向けて下る。
よく見ると、階段室の壁にはいたるところに亀裂が走り、一部の壁が僅かだが崩落している。

ビルから出て米国大使館前の交差点は避難者で騒然としだした。
バッグから携帯ラジオを引っ張り出し、状況を探る。携帯ワンセグでTVを見る同僚もいる。
しばらくすると常駐する大使館警備の警察官からホテルオークラへ避難するよう指示が出るも、既に路上はそうする周囲の勤め人でごった返しており、同施設の収容キャパをオーバーしているのだ。
仕方ないので、同僚数人と大使館前の敷地でしばらく状況をやり過ごすしかない。

何度かの大きな余震が収まったようなので、業務の撤収を図りに本社に引き返す。
帰宅指示も同時に発令された。
大部屋は予想外に崩壊しており、棚やラックからTV、PCが落下し、コーヒーメーカーのポットが落下してガラスの破片を四散させている。
落下したPCをラックに戻す。電気は生きており、アプリの作動も正常のようだ。
主要なPCの電源を落とし、いくつかの私物をひったくり、大部屋をあとにする。

再びビルの1階に集合した同僚と方面別に帰宅の途につく。
iPhoneは役に立たない。
この時点ではDOCOMOも役に立たなかったが。
新橋駅に徒歩で向かう。既に外堀通は避難民と車でごった返していたが、建物の構造自体に異常は見られないので、人々の様子にそれほどの危機感は窺えないのが救いだ。
ラジオである程度の情報は掴んでいたものの、駅に向かわないことには詳細はわからない。東京メトロJR東日本とも不通とわかっていたのだが、いざ新橋駅員に話を訊いても、復旧の目処はまったく立っていないとの確信を得るに至る。

上野に徒歩で向かうことを決断した同僚の一人とここで別れ、残った一人と善後策を協議するも、方策は見つからず、お茶でも、という話で落ち着く。

TAXI、ホテル宿泊の可能性も含め、新橋界隈をうろつくも、解決策は見出せず、時は既に18時。
仕方ないので、晩飯&酒とする。
晩酌中も電話、ネットを試すも殆ど役に立たない。
同僚も諦めたようで、どこか泊まろう、という方向で店を出て、再び近隣のホテルを巡ったが、すべてダメ。
結局本社に程近いホテルオークラのロビーに落ち着くことにした。

報道で見るような駅舎周辺の混乱はここにはなく、ロビー各所に配されたソファに座れないほどの人が溢れていることもなかった、
私と同僚はようやく落ち着き、ロビーに臨時設置されたであろうTVを遠めに見ながらあれこれ感慨にふける。
共に疲れていたのだろう。軽く落ち、互いの寝顔をTVと交互にながめ、いくつかの会話を交わし、再びしばしの間落ちる、ということを12日4時くらいまで繰り返していた。

互いの自宅に通じる電車は依然復旧していなかったが、代替線は終夜運行していたので、そいつで帰宅することにする。
「疲れたね」同僚の言葉に「ああ」と応えるしかないのだが、被災の程度がそもそも違うのだからここは自重すべきところなのだろう。
オークラの長い廊下を巡って神谷町方面出口から日比谷線の入口を目指す。
タダでロビーに逗留する避難民にペットボトルの水を供していただいたり、煙草を吸いに表に出た私の背中を押すように回転ドアの作動をサポートしてくれたドアマンら、ホテルスタッフの方に謝辞を述べさせていただきます。

あれほどごった返していた周辺道路もいまは閑散としている。

日比谷線で反対方向へ向かう同僚とはここで別れ、わたしは横浜方面の電車に乗り込む。
綱島下車。TAXI乗り場は20人ほどの列ができていたので、綱島街道にでて、少しズルをする。

前日、公衆電話で実家の無事は確認していたので、いまはアパートの自室の様子が気がかりだ。
3月12日、あさ5時半。iPhoneもようやく機能して、再び実家に連絡を取り、横浜に今戻ったことを告げ、そうこうしているうちにアパート近くのコンビニで下車。
どこもそうだったが、コンビニの食品棚は見事に空っぽ。それでもアパート近くのコンビには開店早々だったので、まだコンテナに収まった陳列前のサンドウィッチやパスタを買い込むことができた。ついでにアルコールも。

6時過ぎ。
自宅アパートに帰還。キリッと晴れた薄明るい青空。
着実に春に向かうそれである。
道すがら、今日は遠くに富士が望める。
階段を上り、鍵を開ける。
冷蔵庫の上に置いたレンジが落下し、シンクに転がっている。シンクに置きっぱなしの茶碗は割れている。
食器棚は開放され、いくつかの茶器や皿が割れてしまった。
幸い、液晶TVやテーブル上のPCは倒壊しておらず、胸をなでおろす。

割れた食器を片付け、缶ビールをあおる。
TVをつけ、ザッピングを開始。
2時間ほどそうしていたが、強烈な眠気に襲われ、しばし就寝。

昼過ぎ起床。再び近くのコンビニに向かうが、食品棚のエンプティ具合は変わらず。
やはり食品の備蓄はしておいうたほうがいいと思う。
乾き物と、アルコールを買い足し帰宅。いまこれを書いている。

当座の心配は本社ビルの立ち入り禁止措置がとられること。
スタジオは機能するだろうが、それ以前の深刻な問題である。





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