menehune旅写真プラス

menehuneの写真旅の記録。お気に入りの映画、書籍とアニメのインプレ、ライフハックもたまに更新。


スポンサーリンク

映画『星を追う子ども』を観た。


スポンサーリンク

映画『星を追う子ども』を観た。

※イカ、ネタバレありかも。です。

彼ら、というか、彼がアドベンチャー物を創(や)らなくなってイカ程経っただろう。
そして、それに替わる者を探して、イカ程の月日をさまよったろう。

 

映画『星を追う子ども』イメージ画像

5月7日、 「星を追う子ども」を観た。
私の観た劇場の初回は5割ほどの入り。
この作品を観に来る層ってどんなだろうと思ったが、半分くらい今の若者でしたね。
もっと40代がいるかと思ったけど、少数派でした。
若い女の子が多いのにも驚き。もう少しキモヲタ男子だらけかと思ったのに。

冒頭に書いたとおり、ジブリが冒険活劇、SFファンタジーを手がけなくなった替わりに、今回、いままでの作風ではほぼ皆無だったジャンルに監督・新海 誠はんが挑んだわけです。
それにしても、ヘッドコピーの
「少年は憧れ、少女は旅立つ」「本格ジュブナイル・アニメーション!」という表現には若干首を傾げるが。
「少年は憧れ、少女は旅立つ」「それは、”さよなら”を言うための旅」という当初のコピーのほうが。。。
良いんじゃないでしょうかねえ。。。

結論から言うと相変わらずの尻切れトンボだったけど、面白かったです。
いや、むしろジブリ作風に「萌え」要素をプラスした制作のスタンスについては完璧に成功してるかも。

映画館の客席のヲタの心の声を実況ch風に言葉にしたなら、
「見えた」「見えない」、
「デレた」「デレたな」「デレた」、
「ナニ!風呂だと」「今週サービス回か」、
「ハイ、いま俺萌え死んだ」「ブヒイイイイイ・・・」
等の発言が飛び交っていることだろう。
解りやすい例えなら、それくらいヲタを意識した作りになっているということ。
私の記憶もあいまいだけど、多分、小金井にあるあのスタジオの作品を見て、例え今日見ても、いま書いたような定型句は出てこなった気がする。

物語の舞台は昭和40年代だろうか。
「イカちゃん」でおなじみの若手・金元寿子はんが声を当てる主人公の「アスナ」は、現代ではめったに見られないであろう純粋で献身的な心身ともに健康な中学生(だと思う)。
物語は地上ともうひとつの舞台で彼女を中心に回っていく。
さっきの「見えた」ネタでいうと場面場面で作画が微妙なんですが、結論は「アスナ」の制服のミニスカートはキュロットです、と付け加えておきます。←キモ。。。

新海作品のかつての物語の推進テーマであった、「告げられない若い男女の互いの想いとすれ違い」の要素は本作でも若干健在である。「あすな」がその告げられない想いで逡巡するあたりは第一の泣かせポイント。

兵装のことは余り明るくないが、小銃などの火器はともかく、あれっ、そのヘリ出てきちゃいます?というあたりはちょっと時代考証的に変。

井上和彦はん演じる「モリサキ」は傭兵と教師という二つの顔を持つ役回り。
途中までは「天空の城ラピュタ」でいう「ムスカ」をトレースしたキャラかと思いきや、いたって健全。
「アスナ」を絡めた萌え要素を増幅させるポジションとして重要な位置を占めてくる。
その一方、押さえられない自身の願いを叶えるため、物語の終盤、「アスナ」を巻き込むハラハラ展開を仕込んでいる。

また、「ナウシカ」でいう「テト」(キツネリス)にあたるのが、本作では「ミミ」(猫)。
この「ミミ」も、「ムスカ」同様トレース?と思いきや、中盤以降大事な要素として主人公の行動に影響を与えていくこととなる。
猫なのに。もう号泣。。。

新海作品には欠かせない音楽担当の天門はんのOSTは今回も健在だが、切ないピアノソロのそれと比べてオーケストラ・アレンジのそれは演出上「泣かせ」の方向にこれでもか、という舵を切っていて、少しだけ冷めたかな。

「秒速5センチメートル」で感じた背景作画の異様なほどのトレース的実写感とハイ・コントラストな感じは、今作では余り感じられず、どちらかといえば緻密さはそのままに淡い色使いと手書き風なそれでまとめており、好感触。

場面転換の見せ方や、理解できない固有名詞が飛び出すあたりは面食らうが、大ラスの描写と台詞はまさに神がかり的。
隣で観ていた20代の女性ほか、観客ボロ泣きでした←一緒に観ていたわけではない。たまたま。
2時間5分と、これも新海はん作では最長。でも終盤は台詞抜きの動きで見せるまとめ。
このあたりは若干ジブリ風かも。

というか、「モリサキ」が残る選択ってどういうことなの?
シャバに帰れば追われる身ってのは解るけどさあ。
もう少しここでは「アスナ」と「モリサキ」の心の機微を台詞で観せて欲しかったかな。
この二人の関係は擬似的な父と娘として演出がなされているので尚更。
全般、お互いがお互いの駄目っつぷりを許しているあたりは結構グッと来ましたけどね。
尤も、「モリサキ」の妻「リサ」はアルカンジェリの傭兵として家を空けている間亡くなってしまうので、「モリサキ」は妻の死に目に立ち会えていないがゆえ彼女の再生を強く願っている。
終盤、妻の再生は旨くいくかと思われた。
しかし「モリサキ」に知らされていなかったであろう代償が儀式には必要だったのだ。
ここからの「モリサキ」「アスナ」「シン」の物語はクライマックスへ。
その結果、妻との今生の別れを「初めて」迎え、「リサ」から投げかけられた言葉(台詞の音が小さいので耳を凝らして)で「モリサキ」は本当に気がついたんだと思う。折り合いをつけられたんだと思う。だから残ったと。

「ケツァルトル」という神々の存在が物語の鍵。特に飲み込んじゃうあれ。
主人公たちをその役回りのために行動させる描写や、そうでない役回りのため行動する描写は少なくとも二つの伏線回収ポジションとして、重要な位置を占めるよう演出されている。
あれを通じて「アスナ」は大切な何かを終盤に発見することとなる。ヒントは右腕の欠損。

とはいえ、ラノベや、コミックなどのマルチ展開を今作はしているわけではない。よって、興行的な成功は未知数だ。しかし、敢えて言っちゃうけど、私の中での「ジブリ」なきあと、何かここまでの出来の物、観させてもらって感謝だなあ、と思う。新海はんが以降どんなジャンルに挑戦するのかわからないけど。

。。。でも、ここまで書いてきて改めて思ったけど、冒頭のコピー変更の件は、ここまで言っちゃうと、ネタバレ的な要素含んでますね。確かにメインキャスト3人の「さよならを言うための旅」なんですね。そしてそれぞれがそれなりに成長して、折り合いをつけ、前に進んでいく。というお話でした。

とっても泣けて、いいお話なんですが、少しグロっぽいシーンもあるにはあるので(でもオールオーディエンス・Gです)、お子様には少しだけ注意かも。

「アスナ」がサンドウィッチをほおばるシーンで、口の中の咀嚼物が書き込まれているのは色々参考にしてるな、と思ってしまいました。新海はん、ひょっとして「けいおん!」観てましたか?
また、知る人ぞ知る「フード理論」も作中効果的に挿入されていました。

ちなみに「けいおん!」劇場版の特報は流れませんでした。。。スクリーンで見たかったけど、前売売り切れじゃしょうがない。


スポンサーリンク