原作「中二病でも恋がしたい!」読了、雑感。一部アニメ「中二病でも恋がしたい!」2話雑感含む。
「○○先輩(私のことね)、リフレッシュ休暇、申請したって聞きました。どこか、行くんですか?」
職場の後輩が訊いてくる。
「ああ、ちょっとホール&オーツにな」と私。
「はい?」
「だから、ダリル・ホールとジョン・オーツ」
「何言ってるか、全然わかりません」と、面食らう彼女。しかしその顔には、やれやれ、またですか、という表情が混ざっている。そうこなくっちゃ。
仕方なく、話のオチを付けるべく、私はこう切り返す。 「だから、大津だよ、大津。この10月の改編で始まったアニメの舞台が大津なの」
ああ、という半分哀れみの混ざった、でも優しい口元がこう言う。「前半関係なくないですか。てか、オーツしか合ってないし」
などという会話を妄想しながらこの文章を書いている私。
これも中二病の一種だろうか。
さて本題。
基本的なことなんだけど、文庫には「栞」付けようよ、京アニはん。折角のイラストを活用できるのに。
実際、無いと不便だし。
今作、まず、季節感がないのはいただけないかと。入学する時期なら桜を、初夏から夏を描くなら光と影を。
そんな描写は無いよりあるほうが多分によかろう。
それと、いわゆる「ロケ地」。物語の舞台の描写がまったく無いのである。
米澤穂信はんの〈古典部シリーズ〉でいう、「神山市」=「高山市」のように、読者が行ってみたい=聖地巡礼へと誘う装置としての記述が無いのは、近年のアニメ原作としては致命的に弱い、と私は思うのだが。
それを言うなら、「けいおん!」の原作にもありませんでしたよ、という突っ込みは置いておく。
物語が富樫勇太の一人称で進むのは仕方ない。続刊がある(今作2巻は未読)として、六花の人となりが、ネタバレ部分も含め、読者に浸透した後なら、見せ方としては面白いかもしれない。人称が六花や他のキャラに変わるのは同様に面白いと思う。「一色」人称とかね。
それと、書き手の表現、言い回しについてだが、「けいおん!」「ハルヒ」に関連するワードが結構出てくるのだ。
「放課後勉強タイム」など、賞の主催である京都アニメーションはんに阿るそれが目立ち、鼻白んだことは否めまい。
物語は勇太の周りで起こった出来事を淡々と書き連ねるだけで、物語後半で若干の盛り上がりを見せるものの、終始平板。「中二病」なるものに、ジャンルの差こそあれ染まった者なら、主人公たちの見せる立ち振る舞いに共感するのかもしれないが、「京アニ作品が好き」などという、私のような入り方を本書に対してとった読者は、空疎な読後感を抱いたことは想像に難くない。
また、現在一部で取りざたされている、本作と、某作の設定の相似性については、彼作に私は一切触れていないので述べることもできないのだが、今作とアニメで描かれる設定、物語はほぼ別物といっても差し支えなかろう。この点について、製作サイドが事情を理解した上で意識して演出したのかどうかも不明である。
ただ、アニメ2話まで鑑賞した限りにおいて、すでに原作を200%越えの勢いで凌駕していることは確かである。
卓越した作画と背景、同社に対する風評を吹き飛ばすかのごとく展開するアクションシーン、萌えるキャラ描写、そして滋賀県大津市をモチーフとした、聖地巡礼方程式を遵守する姿勢を崩していない。
もはやこの方式は「京アニ・スタイル」といっても過言ではなかろう。早くも琵琶湖巡礼の旅に出たくてうずうずしている私がいるのだが。
付け加えると、アニメ2話の演出は京アニはんの重鎮、三好一郎はんこと、木上益治はん。今話のアクションシーンに対応するための起用なのだろうが、EDクレジットを見てびっくり。原画に山田尚子はんが参加している点がとても興味深い。
人材育成に力を注ぐ木上はんと、師事する山田はん。同社の事情も知らず書いてますが、なんだか美しい何かを感じずにはいられません。いいぞ、もっとやれ!
「六花」=雪の結晶=六花亭ってことなんですね。繋がっちゃいました。
いや、「六花亭」の語源を、アニメ見てわかっちゃうって意味で。
今作とのつながりは直接はありません。言葉の意味として。
2話のバトルシーンで、「六花」の瞳に宿るエフェクトを見直してみてください。
「雪印」のマークになってるでしょ。すごいよね、三好はん、京アニはん。原作オマージュ、ちゃんと生きてます。
この辺のセンスって、やっぱり凄いと思うんです。
私は結構鳥肌立っちゃいましたけど、皆さん、いかがですか。
(そして、冒頭の妄想やり取りに戻る)
ああ、琵琶湖行きてえ!
アニメ「日常」は(巡礼気分が盛り上がるという意味で)そうではなかったようだが、京アニはんには関西方面を舞台にした設定でやれば、まだまだ引き出しは山のようにあると思う。
ヴォーリズ繋がりなら、近江八幡ですよ、京アニはん!
アニメ「中二病でも恋がしたい!」にもう少し言及すると、OPのコンテ、演出、楽曲は素晴らしいと思う。
サビの「夢なら何度でも見た・・・」の転調からの流れは白眉。
法律上、自粛してるとみたが、六花は勇太に二尻してるはずだし。。。同時には描けない、という。
OP後の提クレバックに流れる同曲のオケ・バージョンがまたいい。かなり盛り上がる。
この辺り、流石と言うしかなかろうて。
ただ、特段問題視しているわけではないけど、水着描写の上手くない様は、「けいおん!」の頃から変わってないですね。
エロくない、というか、エロさを感じないというか、この辺も「京アニ・スタイル」として定番化しつつあるかも。