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映画「ライフ・オブ・パイ」を観た。


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映画「ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日」を観た。

※公開から1.5ヶ月ほど経つのでいいかもしれないが、ネタバレ含みますのでご注意を。

 


ヤン・マーテル著、2001年「パイの物語」(Life of Pi)を原作とする。
インドの少年「パイ」が日本船籍の貨物船「ツシマ」でカナダに渡る途中、嵐に遭い船は沈没。一緒に輸送されていたベンガルトラの「リチャード・パーカー」(虎なのにこの名前)と共に227日間もの漂流生活を過ごすという物語である。
とはいうものの、原作は未読。「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の映画評論コーナー「ザ・シネマ・ハスラー」の評は聴いてはいたが、鑑賞にあたっての影響はなかった。

というか、観終わったとき、話が解らなかった。なんなんだ、この作品は? と思いました。
鑑賞後、桜木町周辺を散策しつつ、考えてみた。

「パイの物語。。。」原作の邦題を頭の中でこねくり返していたら、ああ、ってなった。
これは「パイ」の半生を描く「物語」ではなく、「パイ」が創作した「物語」なんだと。

映画本編は、原作の作者と思しき人物が、「パイ」という、とてつもない体験をした人物がいることを知り、取材の上、著作として出版させてくれないか、と「パイ」を訪ねるところから始まる。こうして「パイ」の口述による回想がスタートする。

インドで動物園を営む「パイ」の父親は先代から譲り受けた動物園をたたみ、動物をすべて北米に売却して得た資金をもとにカナダに移住し、一旗上げようとする。
動物園の動物たちに愛着を覚え、交際を始めたばかりの彼女とも別れ、なにより慣れ親しんだ祖国インドを離れることを嫌がる「パイ」。しかし父親の計画は実行され「パイ」は父、母、兄の4人と荷室に多数の動物たちを載せ、インドを後にするのだ。そしてマリアナ沖で船は遭難。避難の混乱の後、嵐が収まると、救命艇にひとり取り残されたのは「パイ」だけ。
さあ、どうする、「パイ」。

というお話。
実は映画を観てから、公式ウェブサイトを改めて見返すと、 「ネタバレ」を未然に防ぐ措置が施されている、ということに気づかされます。
公式サイトでは、あくまで、「パイ」は「ベンガルトラ」と漂流を続けていた、として設計されているからです。

鑑賞しながら、多くのヒトは「あれっ 、『パイ』はトラと漂流してたんじゃないんじゃん」、と思うはずです。
「映画のタイトルと違くね」って、思うはずです。

そういう意味では、映画の終盤、日本人の海運会社スタッフが、「パイ」を訪ね、補償金絡みであろう事情聴取を行う件は「わかり辛い」と思います。何で「パイ」はふた通りの漂流の口述をしたのか。

たった一人の漂流の過程で、「パイ」は自身の正気を保つ必要があった。
一日中何もせず、ただ助けを待つだけの日々。その結果に待ち受けるのは狂気でしかありません。
朝起きて、顔を洗い、食事をし、シャワーを浴びて出勤する。こうした日常そのものがすでに「物語」であり、ヒトが生きる価値はその日常を繰り返すことにある。

家に引きこもり、一日ネット漬けのヒトにだって、大きく見れば、飯は食うし、糞だってする。それは最低限の日常という「物語」だし、それすら放棄するなら、もはやそいつには死が待っているだけである。

とにかく絵が綺麗です。この一点においては癒しの素材として、それだけで価値があります。
しかし、「パイ」が語る漂流中の「物語」は悲惨極まりない。でもそれは本当の「お話」なのか。

とんだどんでん返しを食らう作品です。わかり辛いけど。

最初の話をするときも、もうひとつの話をするときも「パイ」の頬を涙が伝うのは何を意味するのでしょう。
贖罪?

これは原作既読者のレビューも見て、考える必要がありそうです。

アカデミー作品賞を取れなかったのはこのわかり辛さのせいなのか、政治的なそれなのかは知りませんが、「海」の表情をとても美しく撮影した今作、オススメです。

 


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