遅ればせながら、同作雑感。公開初日から数えて4回観たかな。自慢じゃありません。
今週で終わるところ多そうなので、そろそろかなあと。
映像作品において、ファンタジーと恋愛の両立は難しい。
「たまこラブストーリー」が喋る鳥というファンタジー要素を廃して、現実世界の等身大の高校生たちの葛藤と成長、そして恋愛模様を描き、高い評価を得たのに対し、「境界の彼方」においては、さすがに前者の要素をオミットするわけにはいかない。しかし、その本作、「境界の彼方・未来編」は、肝心 のファンタジー要素のオチが弱い印象は拭えない。真っ先に違和感を感じるのが藤真弥勒と名瀬 泉の関係性だろう。あれは後出しじゃんけんではないかと、TVシリーズを見た大多数は思うだろう。
クリーチャー・デザインは全般、ジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X 原題:The Thing」(1982)を連想してしまうし、省略された新堂彩華と名瀬 泉の「手合わせ」など、フラストレーションは溜まる一方である。
「たまこラ」では見合わされた、絶対領域感を盛ることは、深夜アニメ派生型の本作のようなタイトルではいた仕方あるまいが、劇場を埋める若い女子たちは、栗山未来の恥ずかしい部分を意図的に見せられて、どう思うのだろうか。やはり見ている方も恥ずかしいのだと思う。
象徴的だったのは落下する未来を秋人が股裂きで受け止めて会場爆笑、からの、未来の恥ずかしい部分を隠す描写への転換で一気に静まり返る、といった具合だ。
ファンタジーとしても恋愛ものとしても、上手く着地させなければいけない。TVシリーズで広げた風呂敷を畳むのは100分では無理があったという、これはさすがに上映時間のせいだけにするわけにもいくまい。
結果、秋人の母親の正体や、これも後出しじゃんけん的に割り振られた、未来の母親のエピソードといった、要らぬ続編期待、というか新たな風呂敷を広げる始末。
このあたり、トリ一羽を排除すれば、恋愛映画として成り立った彼作と異なり、本作が負ってしまったハンデなのであろう。
しかし、それらの不協和音込みで、本作の特筆すべき点はEDクレジットから、TVアニメで言うCパートまでの構成であろう。茅原はんの「会いたかった空」が 名曲であることは否むまでも無く、TVシリーズオンエア時のOP曲「境界の彼方」と対を成す制作意図が見事に形となっていると思う。
曲ありきなのだろうか。エンドロールを飾るキャラクターのその後の様子でほろっときた方も多いだろう。特に美月をたしなめる意味で忌避していたやきいもとの邂逅を果たす泉の描写であり、「けいおん!」から続く系譜ともいえる部室での集合写真であり、これぞ大団円、と思わずほっこりしてしま う。そして件の踏切のシーン。
斯様にして、本作「境界の彼方・未来編」は若者の成長と恋愛の成就、に関しては手堅くまとめてくれたと思う。つまり、何気ない日常の機微の演出は唸っちゃうんだよね。
これは「けいおん!!」でもあったけど。
京都アニメーションが、今後こういったファンタジーものに再びチャレンジするかは知る由もないが、盛り込む要素とテーマというものは、いつの世であろうと難しいのだなと、本作を見ていると思う。
溜飲が下がるファンタジー、世に幾らも無いわけじゃない。とどのつまり、やっぱ伏線なのかなあ。張り上手。回収上手。日常系じゃ得られない快感なんだろうけど。