映画『エイリアン:コヴェナント』(原題:ALIEN:COVENANT)を観た。
室井さぁん! フェイスハガー、剥がぁれませええん!
つまらない冗談はさておき。
かつて書いたエントリで『プロメテウス』を観ている筈なのに、内容を全く思い出せない。
本作、『エイリアン:コヴェナント』と前作『プロメテウス』が『エイリアン』(1979)の前日譚というのは、設定・シナリオ的にも、小道具的にも無理があるよねえ。
『コベナント』であれだけヴァーチャルに彼我の位置関係を明示できるテクノロジーがあるのに、『エイリアン』では空気密度を感知して音で警告って、どれだけ技術力後退してんだよと思う。やはり1979年当時に2122年を想定して創造されたシナリオと美術に寄せていくことが、如何に大変なことか、ということなんだろうと。そもそもその努力はしているのか?寄せていくつもりはあるのかね。
そして、リドリー・スコットがそのキャリアを積み上げた結果、オリジナルの『エイリアン』が如何に怖くてよく練られた傑作であるかを再確認することとなるのだ。
逆な言い方だと如何に本作『コヴェナント』がB級かということになるのだが。
だって、そこにオチを持ってきちゃったら、そもそも話にならないじゃん、とかmenehuneは思うわけです。寄せていくつもりはないんだろうなあ。
アンドロイドが本作でああいうことをするから、リプリーは『エイリアン』でアッシュを疑い、『エイリアンズ』ではビショップが献身的な役を好演する、という流なんだろうな、という理解は出来たけど。でも、寄せていくつもりはないんだろうなあと。
本作でリプリー的な立ち回りを演じるのが、キャサリン・ウォーターストンはん演じる〈ダニエルズ〉で、吹替は坂本真綾はんが演じているのだ。物語後半、リプリーよろしくの べらんめい台詞があるのだけど、マッチしてなかったね。そう、今回は吹替版を観賞したのだ。
登場人物全員バカ、というのは、この手の作品で、今作に始まったわけじゃいないが、昔の『エイリアン』はもう少し、まともなバカだった気がするのよねえ。喧嘩売ってんのか、と言いたくなる本作の乗組員全員カップル設定とかね。まともな判断しろっていうのがまずもって無理。
単なるAB級(中古カメラに例えてみた)SFの枠を超え、似非哲学的な方向へ舵を切りすぎな気もするので、本シリーズの続編があったとしても、もう観ないかもしれません。
私の中では、『ALIEN』と『ALIENS』があれば、もう充分ですね。