映画『ブレードランナー 2049』を観た。
全世界のオタク層の支持を集めた前作からおよそ「30年後」の世界を描いた本作。
本作に関しては、周りの連中にもひとくさり語りたい「人間」が多いので、対処に困ったりもする。
それほど、エポックメイキングだった作品であることは、否定しようのない前作だったとは思う。
これぞカルトムービーと称される所以でもあるのだが、複数のヴァージョンが存在していて、それらの内容と、関係者のコメントから、様々な if 論が展開されたりもする、かなり扱いづらいタイトルだったりもするのである。評論にはね。
にしても、そこを評論するのが「評論家」筋の方々なので、そこは追って拝見するとして。
menehune個人の本作の感想。これは難しいですね。
本作の中身をどう捉えるのかは、もはや、日本(限定でもないか)でいうなら40代以上の「人間」に限定されちゃうんだろうなあと。
はたして、いまどきの若いもんは、『ブレードランナー』って言われても、解らないでしょ。
3時間近い上映時間で、本日観賞したが、ブルク13のIMAXは後付けのせいもあって、物足りないかな。
やっぱり、川崎109で再見した方がいいのかも。
ちょっと纏まらない(というほど大袈裟なものもないけど)ので、改めて書きますね。
【11/4追記・若干ネタバレあり】
まず、物足りないのは美術でしょうか。
オリジナルのそれが秀逸かつショッキングだったせいもあるのでしょう。
本作の美術全般、しっくり来ない。
なんだ、これ?って呆れてしまったのが、デッカードを探しに来たKが、ひと悶着あった後、デッカードから〈ジョニー・ウォーカー ブラックラベル〉を振舞われるシーン。
ここの天井に注目して欲しい。梁だらけなのである。
こんなかっこ悪い意匠にわざわざデザインされている筈はないので、セットをフラットな天井として目隠しするのを怠った、という解釈をmenehuneはしています。
それと、〈スピナー〉のセキュリティって結構ザルなのね。だって、デッカードは追っ手から逃げるために駐機させていたそれに向かっているし、Kだって、半分泳がされている身とはいえ、LAPDを追われた捜査官が、そのまま使えるものなのかしら、とは思った。
メーカーがPeugeot とかいうのも含め。
全般、オリジナルと比して、お話の展開はWETで若干退屈、かつ、1982年公開のオリジナルを観ていないと理解できない点もある。
日本でも若い層には受けないだろうから、興行もそこそこで終わるだろうなあ。
雨と雪という違いこそあれ、オリジナルの〈ロイ〉と本作の〈K〉を重ねることで、終盤の演出は成功しているとは思う。
そこに至る格闘戦は前作比、見せ方を含めチープすぎだけど。
アナ・デ・アルマスはん演じる〈ジョイ〉の可愛らしさは必見に値するし、AIスピーカーとか話題づくりに躍起な関係者を尻目に、近未来の「バディ・インターフェース」って、こうなるんだろうな、と自然に思えるあたり、時代は進んだものである。
あと注視して欲しいのは、〈レイチェル〉(この存在自体を記すこと自体がネタバレになちやう)と、彼女の瞳の色の関係性、と言ったところでしょうか。
本作における、デッカードの台詞「レイチェルの瞳の色は緑だ」が、ふかしなのかフラグなのかどうかも含め、検証すると面白いかもしれません。スイスの女優はんの瞳の色は緑に見えなくもありません。というか、オープニングの〈あれ〉がそういうことなんだよね。
ただし、残念ながら、オリジナル(ファイナルカット)をもう一度観ようとは思っても、本作をもう一度観たいかと訊かれると、、、
続編がさらにあるような展開でしたけど、どうなるんでしょうね。