©コロリド・ツインエンジンパートナーズ
アニメーション制作スタジオ〈スタジオコロリド〉が手掛けたアニメーション作品、『雨を告げる漂流団地』を劇場鑑賞してきました。同スタジオが手掛けるアニメーション作品は東宝(映像事業部)配給の『ペンギン・ハイウェイ』(2018)、そして岡田麿里さんが脚本を手掛けた『泣きたい私は猫をかぶる』(2020)、そして本作『雨を告げる漂流団地』が三作目となります。さてこれからネタバレを含む雑感を書いていきます。未見で余計な情報は入れたくない方はご注意を願います。
1)映画『雨を告げる漂流団地』のスタッフ
監督は『ペンギン・ハイウェイ』の石田祐康さん。キャラクターデザインとその補佐は『ペンギン・ハイウェイ』で作画監督を担当した永江彰浩さんと加藤ふみさんだ。『ペンギン・ハイウェイ』でキャラデザと演出を担当した新井陽次郎のタッチにかなり寄せてきている印象です。
気性の違いはあっても、『ペンギン・ハイウェイ』の主人公〈アオヤマ君〉と本作『雨を告げる漂流団地』のそれである〈熊谷航祐(くまがや こうすけ)〉のキャラ造形は結構近いです。
主人公たちが小学生というのも彼作と同様。近年TVや劇場アニメの主人公たちが概ね高校生なのに対し、なかなかニッチなラインを攻めてきてはいますが、以前書いた記事の通り、これは周りの大人たちが絡んでなんぼの世界と言えなくもないので、物語を子供たちだけのシチュエーションで進めていく危惧を抱いていました。そしてその予感は的中してしまいました。
劇伴は『ペンギン・ハイウェイ』同様、阿部海太郎さんが担当されています。彼作と異なるのは脚本担当で、『ペンギン・ハイウェイ』は上田 誠さん(ヨーロッパ企画)だったのに対し、本作『雨を告げる漂流団地』では森ハヤシさんと石田祐康監督が担っています。
2)映画『雨を告げる漂流団地』のストーリー
まるで姉弟のように育った幼なじみの航祐と夏芽。
小学6年生になった二人は、航祐の祖父・安次の他界をきっかけにギクシャクしはじめた。
夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに
取り壊しの進む「おばけ団地」に忍び込む。
その団地は、航祐と夏芽が育った思い出の家。
航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、謎の少年・のっぽの存在について聞かされる。
すると、突然不思議な現象に巻き込まれ――
気づくとそこは、あたり一面の大海原。
航祐たちを乗せ、団地は謎の海を漂流する。
はじめてのサバイバル生活。力を合わせる子どもたち。
泣いたりケンカしたり、仲直りしたり?
果たして元の世界へ戻れるのか?
ひと夏の別れの旅がはじまる―
(公式サイトより)
夏休みのある日、取り壊しが進む団地内部を探検して宿題の課題とするという目的のため解体現場に忍び込む小学生たち。
ごく初期の思春期特有の自意識過剰を拗らせたゆえ、反目しあっているように描かれる〈熊谷航祐〉と、〈夏芽(なつめ)〉は、周りのクラスメイトも上手く仲を取り持つことも出来ず、さらにヒステリックなキャラクター〈羽馬令依菜(はば れいな)〉によって現場の空気はかなり悪い方向へ進んでいきます。
〈令依菜〉とともに状況に巻き込まれてしまった〈安藤珠理(あんどう じゅり)〉ら、男子3名&女子3名が経験するミステリアスな冒険譚、と書けば少しは興味がわきそうですが、上映開始後、その興味は徐々に薄れていきます。
3)『雨を告げる漂流団地』をみた雑感を思いつくまま書いていく
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それでは映画『雨を告げる漂流団地』を観た雑感を書いていきますが、残念ながらこれといって言うことは余りありません。
ネット配信がメインの本作『雨を告げる漂流団地』は、劇場公開規模も大きくはなく、menehuneが鑑賞したシネコンも14時の回のみの上映。客層は殆どが小学生程度の子供たち(とその保護者)でしたが、上映後の空気は醒めたものを感じました。映画の日でチケットは1,100円でしたが、この日でよかったです。
『雨を告げる漂流団地』を観てトータルで感じたのは、脚本、演出が良くない点。キャラデザとアニメーションの動きは観ていて気持ちよかったのですが、キャラクターたちが巻き込まれるシチュエーションの原理原則とその絵面の見せ方が腑に落ちません。しかも前述したとおり、この遭難状況に小学6年生たちの子供たちだけで立ち向かわなければなりません。ここではどのくらいの日数が経過しているのか、夜明けという基準に則り子供たちは記録を付けますが、食料や飲料水、それに医薬品などちょっと現実的ではないかもしれません。
主人公の男女二人が団地の敷地内を駆け抜けていくアバンの演出はいい。すでに泣けてきます。でもアバンの締めからオープニングタイトルへの流れ、そしてOPアニメーションのテロップ表示の作りが雑すぎませんか。これはネットフリックス独占配信の影響なのでしょうか。
〈団地〉という昭和のノスタルジーを題材にするのはいいでしょうけれど、視聴対象の目測を誤っている気がしてなりません、menehuneが鑑賞したシネコンではメインゲストは小学生とその保護者だったと先ほど書きましたが、作中に登場する団地の構造描写や小物として重要な伏線ともなってくるアンティークのフィルムカメラなどが、彼らの心根にどれだけ刺さるのでしょうか? いや、刺さらないだろうとmenehuneなどは思うわけで、逆にガチ昭和世代の50絡みのおじさん(しかも団地好き)が観たら刺さるか?と問われれば、そうでもないんじゃね、と応えるでしょう。
それはこの作品全体に通じる無駄な繰り返し演出や脚本の粗、〈航祐〉と〈夏芽〉主人公二人がなぜ現在ギクシャクしているのか、過去を振り返る演出の稚拙さが鼻についてしまうからなのですが、正直この内容で120分見せられるのはキツイ。
物語に殆ど大人が介入してこないので、平たく言えば小学生たちが遭難現場でキャーキャー喚いているだけ、と感じてきてしまいます。団地を見守る〈のっぽ〉と同じ役割をする遊園地を見守るキャラクターの唐突な登場とか、状況の終息に向けた演出のプアさと説明の省き方など、これじゃあシネコンで鑑賞する子供たちもシラケて当然ではないでしょうか。途中ハッとさせられる台詞が数か所あるのは認めます。これらのセリフは確かにゲストの小学生にも伝わるはずです。でもそれだけなのが惜しい。
ネット配信前提だからでしょうか。劇場の音響はよく感じられず、劇中挿入歌の音場の悪さには辟易しました。そしてその曲も魅力的ではない。阿部海太郎さんの劇伴も『ペンギン・ハイウェイ』のように沁みるものではありませんでした。
4)『雨を告げる漂流団地』雑感まとめ
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本や映画は基本的に精神的、金銭的に余裕がある人の娯楽、と最近menehuneは思うようになり、実際ここ1年は読書や映画鑑賞から遠ざかっていました。正確には読む気も鑑賞する気も起きなかったというのが正しい。久しぶりの映画鑑賞でしたので、感性が鈍ったのか、いまだに残る精神的余裕のなさがこのような雑観を抱く結果となったのか、若干自身を訝しむとしても、本作『雨を告げる漂流団地』は少し残念な出来でした。
因みに〈スタジオコロリド〉の次回作は、柴山智隆監督が担当。鋭意制作中と本編上映前に告知がなされました。