(2020/07/24 画像を差し替えました)
2020年7月、昔のネガ・ポジを、断捨離を兼ねてデジタル化しました。この記事に掲載されている写真は、すべて高解像度で再スキャンし、若干の化粧を施し、2020年7月24日に再掲されたものです。横浜の根岸競馬場跡地の模様を記しておきます。
ここに掲載されているのは、1986年から1989年頃に撮影されたネガをスキャンしたもの。山手、というか根岸の米軍住宅。その施設は根岸競馬場に隣接する形で形成されました。
当時の機材はMinolta X700。モータードライブまで手が回らなかった記憶がある。レンズは新品で買ったMD 50 F1.4、MD24-35 F3.5、そして中古で買ったMD200 F4だったと記憶している。
矢作俊彦を読み耽っていた大学4年の冬。アメリカは憧れ以外の何者でもありませんでした。
1929年(昭和4年)向かって右の一等観覧席(馬見所)が竣工。翌1930年(昭和5年)に、左に見える二等観覧席が竣工しました。その後来場者の増加対策として1934年(昭和9年)二等観覧席を倍のスケールで増築。従来の面積、収容人数を倍加させました。当初の設計図を丸々コピーしたため、同じ建物が二つ繋がっているのはそのためです。
根岸競馬場跡地のスタンド廃墟。西日を浴びていい感じです。これを撮影したとき、道すがら「豚小屋」があった記憶があります。いまでも「豚」いるのでしょうか。
右側のスタンドが現存しますが、ヒトの手の入った廃墟はすでに廃墟ではありません。
いまのスタンドには興味はありません。
YMO主演の映画「プロパガンダ」のロケ地にもなったここ。当時はOFF LIMITSのここでよく撮影できたものだと話題になったものでした。武道館の散開コンサートを観たのが高校2-3年生の頃。翌年公開のこの映画は今でも記憶に残るいいものです。
なんか、自画自賛ですけど、いいですねえ。
撮影環境がよくなかったのか、全体に画像がぼやけていたため、思い切って加工してメリハリをつけてみました。こうしてみると、競馬場のスタンドという迫力がありますね。
競馬場施設
横浜市営バス、根岸台バス停から先は米軍施設。奥に根岸競馬場のスタンドが伺える。
往時の競馬場スタンドの画面右側は生活道路を挟んでPXやGSなどの米軍関連施設があった。たぶん今でもある。※2020年7月現在、施設は返還され再開発が構想されています。
根岸競馬場跡地、一等観覧席スタンド前にて。
同じく一等観覧席前にて。
スタンド正面からの写真があったことは忘れていた。存外貴重かもしれない。
関係者の日常。
無茶してますねえ。
山元町側からスタンドに向かって続く、なだらかな坂道の両側には、馬券販売用のスタンドが並んでいました。その遺構もこのころはまだ残っていました。
旧根岸競馬場跡の馬券販売スタンド。2020年夏にはフェンスで覆われ、覗けなくなってしまいました。
セキュリティ用のゲートや車止めなどはなく、普通に通り抜けができた平和な時代の思い出です。
ヨコハマ昔の写真(2)を公開しました。
(2020/07/24 画像を差し替えました)
(2020/07/24 追加しました)
水町通の賃貸マンションに暮らしていた大学の同期がいた。彼の部屋のベランダから撮影したもの。
新館が出来る前の「ホテル ニューグランド」。
あの頃の待ち合わせは、電話連絡が取れるホテルのロビーを使うことが多かった。
携帯電話が無い時代。
ホテルのロビーなら「遅れる」連絡を相手に取り次いでもらえたから。
Bar「シーガーディアン」が通りに面していたのもこの頃。
真っ暗といってもいい照明の中、唯一明るいカウンター席に腰掛けるのは学生の自分にとって、えらく背伸びをした振る舞いだった。
本館1階の花屋の存在感と(男性)トイレの意匠も、とても痺れるものだったと記憶している。
プライベートで1回、中庭に面した本館シングルに、仕事で新館にも1度泊まったことがある。良い意味で古びた本館の部屋とバスルームは今でも心地良い記憶として残っている。
秋の一日、少し昔を振り返ってみました。