2020年7月、昔のネガ・ポジを、断捨離を兼ねてデジタル化しました。
ここに掲載されているのは、1986年から1989年頃に撮影されたネガをスキャンしたものです。山手、というか根岸の米軍住宅〈NEGISHI HEIGHTS AREA~米軍住宅根岸ハイツ〉。その施設は根岸競馬場に隣接する形で形成され、磯子の運河まで伸びていました。根岸森林公園前の横浜駅根岸道路を根岸ハイツに進む途中、〈ドルフィン〉の向かいにある消防署〈Fire Station No.7〉です。※2020年現在は〈No.5〉となっています。
因みに、神奈川県内の在日米軍(海軍限定)の消防署は、menehuneが横須賀基地に訊いたところ、次のように展開されていると教えてくれました。各軍、各エリアごとに通しナンバーが付くそうです。以下、大幅に加筆訂正しました。以下7施設だそうです。
No.1 横須賀・横須賀海軍基地
No.2 逗子・池子
No.3 横須賀・田浦
No.4 横須賀・吾妻島
No.5 横浜・根岸※住宅地返還に伴い、近い将来閉鎖のようです。
No.6 横浜・鶴見
No.7 綾瀬/大和・厚木航空施設
当時の機材はMinolta X700。レンズはNew MD 50mm F1.4、New MD24-35mm F3.5、そしてMD200mm F4でした。施設入口の大きな看板。
旧根岸競馬場の観覧席に向かい歩を進めると、右手に施設が展開されています。これはガソリンスタンドですね。
厚生施設ですね。書店や、床屋(美容院)の看板が確認できます。
〈Negishi Club〉と銘打たれたネオンサインが、いい味出してます。
施設のメインビルですね。こうして各施設を右手に、競馬場スタンドを左に見ながら山元町へ抜けられました。
来た道を〈US NAVY FLEET ACTIVITIES YOKOSUKA YOKOHAMA DETACHMENT〉と書かれた巨大な看板まで戻り、左手に進んでいきます。ここの桜がきれいでした。最近訪ねた際は、樹勢も衰え枝も寂しくなり、この画像のような勢いはありませんでした。
〈NEGISHI HEIGHTS AREA〉とある根岸ハイツの案内板。根岸共同墓地と思しき墓石のイラストがフィーチャーされるなど、茶目っ気があるんだかないんだか理解に苦しみます。
上の案内板の通り向かいにある〈RICHARD E.BYRD ELEMENTARY SCHOOL〉。鯉のぼりが平和を象徴しているように見えます。
どんどん進んでいきます。それができた時代でした。MPが飛んでくるなんてことはありません。
多くの日本人の犠牲の上に形成されたエリアであることを後年知ることになりますが、
当時は日常の喧騒から隔絶された、遊園地にいるみたいな気分でした。
おそらく、映画『E.T.』を経験したことは大きかったと思う。アメリカの新興住宅地に、知らぬ間にあこがれていたのだろう。
根岸ハイツのバスストップと〈U.S. Postal Service〉の郵便ポストです。ゴミ箱じゃありません。
カメラを構えるこちらを訝しげに見ることもなく談笑する母親たち。左の車はホンダ〈アコード〉セダン、右は初代の〈スターレット〉4ドアでしょうか。
当時は払い下げ?された米軍のハウスに居住することが、一部で流行っていた記憶があります。menehuneもそうしたいと思ってはいましたが、実行はしませんでしたね。
この頃は巨大なアメ車はほとんど見かけず、車両は日本車が目立ちます。右はフォードの〈マスタングコブラ〉ですが、真ん中は〈マークIIクーペ〉左は〈Z〉ですね。
遠くに競馬場のスタンドが見えます。〈磯子霊園〉直上の崖あたりのT字路からスタンドに向かいシャッターを切った感じですね。
裏ではいろいろあったのでしょうが、こうやってするっと入っていけるところが、やはり見かけは平和な時代だったのでしょう。
現在のセキュリティ・ゲートが設けられたのは、2001年の9.11直後だったと記憶しています。
2015年末には米軍関係者は退去し、その後、跡地の上物はそのままに現状に至ります。
根岸ハイツ跡地の利用計画は練られているようですが、コロナ禍もあり、進展は遅れるでしょうね。menehuneは数件の住宅を資料館として保全し、写真撮影などのスタジオ機能を付加してほしいです。
ヨコハマ昔の写真その1、旧根岸競馬場です。