アニメ「中二病でも恋がしたい!」8話雑感。
今朝観た初見と、帰宅後観た2回目での雑感。続きは明日にでも。
印象的だったのは十花の六花を甚振る際の涙目と、勇太自宅での季節感の描き方でしょうか。
物語終盤、六花を上回る昇天モノの笑顔を見せるであろう十花のそれが私の頭の中にあります。
下手すりゃ、六花の斜め上を行く殺傷度のそれが。
萌え豚はんは覚悟&刮目するように。上手くいけば十花のツンデレ最終形態が拝めるかもしれませんよ。
【11/23追記】
8話にして十花は六花に対して殴る蹴るのDVまがいの行為に及んでいる。しかしその瞳には涙が滲んでいる。
ここは結構大事な伏線になるのかなと予想します。
いかに妹思いなのかを、一連の描写をすることで訴えようと。訴えておこうと。
結局、六花の中二病に至った背景は7話と今話で一通りの説明はなされたものの、小鳥遊姉妹の関係も含め、決着には至りませんでした。
今後の展開としては、六花と勇太の水族館ラブラブ・デート回などを挟みながら、最終話辺りで小鳥遊姉妹の邂逅が必ず描かれると思います。
そこには前述した十花の満面の笑みがセットで描かれるはず、などと妄想しています。
恐らくそのシーンでは優しかったパパとママの思い出がフラッシュバックされ、六花と十花の抱き合って号泣なんて展開もあるかもしれません。
「ごめんなさい、おねえちゃん・・・」
当然そこではあなたも私もTVに向かって号泣しているはずです。
その号泣からの満面の笑み。。。ヲタ総勢撃沈させられるかもしれません。
【追記終わり】
それと、勇太の部屋のカレンダー。8月なんだよね。
夏休みだから当然なんだけど、(団地である)勇太の部屋にはエアコンあるのかな。
背景として、過去回でそんな描写があったかなあと思って。
エアコンがあるなら(つけてるなら)、カーテン閉めて寝るってのは当然。
でも、ない(つけない)なら、窓は開けて(網戸があるのが前提だけど)寝ませんかねと。
網戸、薄手のカーテン、厚手のカーテン、てのが私の中での季節感なので、厚手のカーテンは開ける、
薄手のカーテンは閉める。そして網戸越しに風を入れる、というのがエアコン無い(つけない)場合の私の夏、な訳です。
それでも、風が逃げる開口部が勇太の部屋にはないので、暑そうですけどね。
エアコンのルーバー越し(つまりエアコンの噴出し口内部からの撮影・アニメなら可能)のショットが描ければ、ああ、クーラーが勇太の部屋にはあるんだなってのがわかるわけで。
カメラ手前でルーバーが動いている描写も加え、エアコン内部から六花の背中越しに勇太を写し込んで部屋を撮影すれば完璧。
なんだけど。
続きは明日。
【11/23追記】
公式の設定資料を拝見したら、勇太の部屋にはエアコンがありました。窓の上にね。
だから、8月でも窓を閉めて寝るのは設定上正しいと。ただ、見せ方としては窓を開け、夏の湿った夜風に揺れるカーテンと寝汗、としたほうが季節感はあったかなと。
勇太の部屋にあった腕に巻きつけてピストルをスライドさせるあれ、既報の通り、映画「タクシードライバー」(1976)で、主演のロバート・デ・ニーロが自作するアレですね。
検索すれば情報は山のように出てくる名作中の名作。
お話自体は割りとシンプルなので、いまどきのヲタが見てもカタルシスを得られると思う。
ただ主人公、トラヴィスの真似をするかどうかは、自己責任で。というか、やらないで。真似してもいい行為もあるんだけどね。アイリスに対してのそれとか。
あと、最後に妄想をひとつ。
いまのところ今作の視聴者は、六花が中二病から抜け出せるのかどうか、またその方法がどう描かれるのかが一番の関心事なんじゃないでしょうか。そこでひとつ考えてみました。六花が父親の死を受け入れ、中二病から抜け出すきっかけを。
8話で六花はまだ自分でも気づかない「恋の予感」に苛まれます。
ただ、何らかの出来事を経て、六花と勇太はお互いを「そういう人」として意識していくのでしょう。
互いに惹かれあう恋。ふたりの感情が頂点に向かうまさにそのとき。。。
勇太の父親が赴任先の海外で事故に巻き込まれ死亡、という知らせが届きます。。。
六花は恋人の父親の死、という現実にも向き合わなくてはなりません。
そして、悲しむ勇太に寄り添うように見守ってあげたいと思います。
「元気出して」なんて空気を読めない台詞は決して吐きません。
いみじくも同じ環境におかれた勇太と六花。気丈に振舞う勇太を見守りながら、六花の中で徐々に変わっていく、父親の死に対する感情。
勇太となら一緒に乗り越えられる。。。
そして、改めて六花と、十花、そして勇太の3人でパパの墓参へ赴き、そこで小鳥遊姉妹の邂逅、って感じ。
墓参の帰り道、ふと六花が目をやった海の向こうに不可視境界線が見えてもこの際OKなんじゃないかと。
もうこの3人同時に見えちゃってもいいと思う。
「アレは漁火だぞ、六花」
「おねえちゃん、違う! あれは不可視境界線。あそこにパパが見える!」
「何を言ってんだか。勇太も呆れてるじゃないか。さあ、帰るぞ。おじいちゃんも待ってる」
六花は父親の死を乗り越えられたのだから、このパートでのこんなコミカルな会話も成り立ちます。
中二病的な言動は、その原因となったトラウマから抜け出せても健在であったというオチ。
以上、今後の「中二病でも恋がしたい!」の妄想でした。
【追記終わり】