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映画『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観た。


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本日2020年9月24日、この夏新規オープンした〈T・ジョイ横浜〉で観てきました。

ここから先ストーリーの核心に触れる箇所がありますので、未見の方にはあまりお勧めできません。

 

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(C) 暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

 

 2018年1月から3月のクールで放送されたTVシリーズ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。その後、2019年9月公開の劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝-永遠と自動手記人形-』を経て、本来なら2020年1月10日に全世界同時公開をうたっていた本作だが、諸般の事情により公開延期(2019年7月18日の凶行が少なからず影響を及ぼしたと推測)。いったん同年4月公開がアナウンスされるも、世界に蔓延したコロナ禍によりさらに公開は延期され、やっと2020年9月18日初日、その後の4連休にぶつける形での公開が決定。9月19日からは間隔をあけて販売されていた映画館の座席販売制限が解禁。全座席の販売が行われたこともあり、公開後4連休の興行成績は好調のようですね。
私こと、menehuneは人出が回復し、ごった返した街中への外出は避け、今日、9月24日やっと観てきました。連休明けの時点でパンフレットが完売しているという情報は掴んでいたのと、一か所誤植があるということも知っていたので、再販される版は改訂版だろうと踏んでいます。

さて、前書きが長くなりましたが、徒然なるままに雑感を連ねていきます。
まず、アイデアはとてもいいと思う。「現代の主人公=デイジー・マグノリア」の先日亡くなったおばあちゃんが、そのお母さんからの手紙を代筆業の別称、〈自動手記人形(ドール)〉から託されていた、という逸話に触れ、その話の背景を追うエピソードを絡めるあたり、いわゆる入れ子構造のストーリー展開ですね。さらに、若干もたつくエピソードなのだが、後半の物語の重要な伏線となる病気の少年「ユリス」のエピソードも挿入され、過去のエピソードとして機能していきます。そして肝心の「ヴァイオレット」と彼女のかつての上司で、戦後失踪したままの陸軍少佐「ギルベルト・ブーゲンビリア」の関係の行方は?という、本シリーズ最大にして最後のミステリが明らかになるのだから、気にならないはずがなく、何より前述した凶行から1年余り、京アニの新作を心待ちにしていたファン(含menehune)の欲求もマックスに達していたのです。

140分という長めの上映尺は、シリーズ未見の方も含め、TVシリーズの10話を下敷きにしていますよ、というシーンから始まります。先に書いた葬儀後のマグノリア家のシーンです。現代の主人公「デイジー・マグノリア」は母親の母親(=アン・マグノリア=TVシリーズ10話のゲスト・キャラクター)に自身の死後毎年、手紙を送ること依頼した「ひいおばあちゃん=アンの母親」が雇ったドールの辿った道に興味を持ち、それを訪ねる旅が始まります。

一方過去の時間軸では、前述した病床に伏せる少年「ユリス」と「ヴァイオレット」の代筆を兼ねての交流が描かれます。「ユリス」は家族と親友に自分の死後、手紙を送る約束(契約)を「ヴァイオレット」と交わします。
そんな中、「ヴァイオレット」の保護者的立場の「クラウディア・ホッジンズ」が、「ギルベルト・ブーゲンビリア」が生存している可能性を示すあるものを見つけ、、、

開始早々、観ていて感じたのは、状況や心情を口に出して言葉で説明するシーンが多いな、という点。これもライトユーザーの予習・復習込みの要素があるのは認めなくもないが、ちと多すぎたかな。

可愛いヴァイオレットちゃんが頬を赤らめ、うるうるしているのを観ていると、それだけで幸せだし、タイプライターに向かう彼女の、実は大きめのヒップラインが見ていてとても心地よい(気持ち悪い)。

ただ、鑑賞していて徐々に膨らんできた感情の一つが、こんなことを言っても身も蓋もないが、これって劇場版でわざわざやる話だろうかというもの。「それを言っちゃあお終えよ」という声が聞こえてきそうだが、興行収入が期待できれば、それはやるよねえ。そう安易に思わせないための入れ子構造なのもわかる。でも、「ヴァイオレット」と「ギルベルト」の関係性を主軸に、TVシリーズの延長でやれるし、やれたはず。

TRUEはんの劇場用主題歌も、毎週TVでかけた方が売れそうなんだけどね。

これと同じ展開は勘弁してください、と念じているのがアニメ『響け! ユーフォニアム』の続編です。制作決定の発表はされ、五周年記念の記事を公式で散見しますが、どのような形態でのドロップなのかは公表されていません。彼作だけはTVシリーズでじっくり演出していただければ嬉しい。勝手なこと言ってますけど。

これでもかと、こちらも入れ子構造で観客を泣かせにかかる、〈泣かせの波状攻撃〉は同じ劇場版で一気呵成に責められると、受けるこっちは結構醒めてしまうもので、この140分の中で描かれるエピソードを24分の小分けにして、毎週泣かせる話にすれば、もう半クールくらい興味が持続できるし、脚本や演出の粗もカバーできたのではないか。

例えば、茅原実里はんが歌うTVシリーズEDの使い方は、もろにTVシリーズへのセルフオマージュだし、一方、彼女がシリーズで声をあてたキャラクター「エリカ・ブラウン」の登場シーンは、過去の出演者を上澄みだけ登場させるだけだし、転職した後の描写の取って付けた感とか、ちょっとげんなりです。

物語の後半活躍する、〈C.H郵便社〉関係者が茶化す文明の利器「電話」のシーンや、これに絡む「電報」のシーン。同社がある町〈ライデン〉から列車と船を乗り継ぎ3日かる離島であの電報の使い勝手の良さは都合がよすぎませんかね、という野暮や、島を去る「ヴァイオレット」が「尋ね人」の生徒である少年に彼への手紙を託すシーンから、彼の兄が “それを読め”と諭す流れ。兄と弟の邂逅シーン演出のための無理矢理展開。あの生徒から兄の「ディートフリート・ブーゲンビリア」にどうやって手紙が渡り、丘の上から手紙を乗せたウインチを操作しているのは誰なんだ? 手紙一通とはいえ、あの少年が一人で回せるほどのものなのでしょうか。不明です。

更に疑問に感じたのは、「ギルベルト・ブーゲンビリア」の病床兵から放浪の旅に至る件。彼がそう行動する動機が弱いです。あっと、ここまで書いてしまったので明らかにしておきますが、すでに皆さんもご存じの通り、彼は生きています。とはいえ、TVシリーズから彼の生存説はにおわされていたので、本作公開のニュースが広まるにつれ、最後「ヴァイオレット」と「ギルベルト」が抱擁して大団円、という展開は容易に予想できました。

しかし、そこに至るまでの過程が、発想が、いかにも幼稚ではないでしょうか?
本作に登場する男性キャラの主な3名、「ギルベルト・ブーゲンビリア」「ディートフリート・ブーゲンビリア」そして「クラウディア・ホッジンズ」の幼稚さは、ちょっと見ていて辛いかも。仮にも3人とも戦場の陰惨さを経験したとは思えない。いかにも優柔不断で自身の本音を上手く人に伝えられないって、あんたら全員将校だったんだよね、とも言いたくなる。TVシリーズではこういった男たちの立ち振る舞いが、その上辺(うわべ)だけしか描かれておらず、幼稚な部分を描かずに済んだともいえる。だが本作は彼らの本質を描かざるを得なく、結果ダメな男の本性があらわになってしまった。もっとも三者三様に解決の方向に物事は進むのだけれど、ちょっと、「ギルベルト」が「ヴァイオレット」を拒絶する件は腹が立ちました。

劇場版前作『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝-永遠と自動手記人形-』でも活躍した〈C.H郵便社〉の配達員「ベネディクト・ブルー」は軍属経験はなく(?)、中性的なキャラクターで、本作でもその素性が明らかにはされていない。おそらくもっとさばけた性格だろう。

その他感じた点は、島で大雨に打たれ、「クラウディア」と「ヴァイオレット」の衣装はずぶ濡れとなるが、衣装の透け具合の描写は、作中状況の色温度を勘案しても前作の方が優れていた。

あと、ラストシーンの『ヴァイオレット』の号泣シーンは、映画『聲の形』を思い出した。ただ思い出しただけで他意はない。

こういった〈男女の〉恋愛要素が核になった話だと、海外の反響もだいぶ変わってくるのではないかと感じています。ネットの動画界隈でも大きく話題となり、本作の裏テーマでもあるTVシリーズ10話は、生死を通じた母親と娘(息子にも転化できる)の愛情という普遍的なテーマを演出して見せたため、あれだけの大反響を得た。しかし、「ギルベルト」と「ヴァイオレット」の恋愛譚は、そこまで広く理解されないでしょう。それは親子の愛と比べて恋愛というものは感情の選択肢が多岐にわたるからです。

人から人へ思いを伝える自動手記人形も、自身の恋愛がテーマになると、幾ら可憐な「ヴァイオレットちゃん」でも、広く支持を集めるのは難しいのです。
因みに〈C.H郵便社〉の社長「クラウディア・ホッジンズ」が彼女のことを「ちゃん」付けで呼ぶのも幼さの側面の一つで、本作中、一回でも「ヴァイオレット」と呼ぶことができれば、彼の成長の一端を垣間見ることができたでしょうが、叶いませんでした。

最後に、Wikipediaによれば、株式会社アニメーション・Doは、2020年9月、株式会社京都アニメーションに吸収合併。存続会社は京アニで、アニメーション・Doは解散と公表されました。よって今後のクレジットでは両者の併記はなく、(おそらく)今作がその併記の最後だと思われます。
次回作も期待しています。決して諦めからくる、という意味ではなく。

 


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