1年ぶりの北九州です。歴史的近代建築を巡る旅。
北九州空港への飛行機はナローなMD-90。揺れがリアルに感じられてスリルです。。。
富士山の真上を飛ぶのですが、とてもいい気分です。この路線を飛ぶときは左窓側の座席のリザーブをお勧めします。
北九州空港からは門司港までバスを利用する予定だったが、空港に降り立つとそこは銀世界。。。
都市高速が通行止めで、バスは運行の目処が立ちません。。。ということで動いているJRで移動することになりました。
朽網駅(くさみえき)までシャトルバスで。
2月とはいえ、北九州でもこんなに雪が降るんだなあ。ある意味ラッキーなことです。
ここまでの3枚はすべて、Canon PowerShot S80 で撮影。
車窓から、雪景色の日本セメント門司事業所跡を。
朽網駅から小倉経由で宿泊地の門司港駅へ到着。雪の門司港駅も風情があっていいですなあ。門司港駅は行き止まり構造で、頭端式(とうたんしき)ホーム、また櫛形(くしがた)ホームと呼ばれます。
日本の鉄道開業100周年を記念して建立された九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標です。
雪の門司港駅ホーム。
2月は、この門司港レトロエリアで「ふぐ祭り」が催されるらしく、コンコースにも多数のふぐ提灯がつるされています。
朽網駅周辺の積雪を見て、もう少し積もっているかと期待したのですが、門司港駅周辺はさほどの積雪ではありませんでした。でも高望みは止めておきましょう。雪化粧した駅舎をカメラに収めることが出来たのはラッキーでした。
2007年の2月に訪れたときは内部見学が出来なかった気がしたのですが、今年は2階にある展示室の見学が出来ました。画像は2階へ続く階段。
門司港駅2階の通路です。
展示室には門司港駅の歴史が写真などで紹介されています。かつては位の高い方向けの貴賓室だったようです。天井のアールがそれを象徴していますね。
門司港駅の模型です。キットがあれば欲しいかも。
現在の控室です。
門司港駅の改札です。
門司港駅の待合室です。扉は自動ドアです。「門司港駅うどん店」の駅うどん、食べておくべきでした。
門司港駅構内には、戦前から使用されている洗面所、幸運の手水鉢(ちょうずはち)、上水道「帰り水」など様々な歴史的価値のある施設があります。
1914年(大正3)の門司港駅開業から現存する、「幸運の手水鉢」。手を洗うための青銅製の手水鉢(ちょうずばち)は、戦時中の貴金属供出をかいくぐったため謂れとなりました。
同じく開業時から現存する「帰り水」(水飲み場)。中国大陸などの海外旅行者、終戦後の復員や引き揚げの人々が安堵して喉を潤したことから「帰り水」と呼ばれる上水道です。
洗面所といえばトイレを連想しますが、これは洗面のためだけに存在する「洗面所」です。大理石とタイル張りの洗面所は、蒸気機関車が走っていた頃、機関車の煙で真っ黒になった手や顔を洗っていたためです。
「関門連絡船」は、日本国有鉄道(国鉄)が1901年(明治34)から1964年(昭和39)までの間、山口県下関市の 〈下関駅〉と福岡県北九州市門司区(1963年までは門司市)の〈門司港駅〉との間を運航していた鉄道連絡船。 貨物では荷物の積み替えが煩わしいことから、貨車自体をレールを敷いた船に載せる「鉄道車両渡船」が日本で最初に導入されたそうです。左側のコンクリ部に、旧日本軍の命令で設置された渡航者用監視窓が残っています。これは門司港と門司港駅が外来航路の寄港地、中継駅だったためです。
門司港駅の庇です。
旧門司税関1号上屋へ向かう199号線道路から見た門司港駅です。庇の構造がよくわかります。
門司港駅のコンコース。風情がありますね。遠くから足を運ぶ方が多いのもうなずけます。
夜の門司港駅。20時ごろですが、閑散としていて、却って旅情を感じます。あと、とても寒いです。
RAWで撮影して、現像で色味と歪みを調整します。
ここまでの撮影機材はSONYのα700と、MINOLTA AF17-35 F3.5 およびAF24-105 です。北九州市門司区の散策エリアはそう広くなく、歴史的建築がぎゅっ、と詰まった印象です。次回、歴史的近代建築を巡る旅(2)を書きます。