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映画「LA LA LAND ラ・ラ・ランド」を観た。


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映画「LA LA LAND ラ・ラ・ランド」を観た。

ネタバレを若干含みます。いまから観たい方は若干注意。

前作、「セッション」で観客の度肝を抜いたデミアン・チャゼル監督の最新作である。
精神的に優れない感じで、今日は観るのやめようか、劇場漁っても、ほぼ満席だしなあ、と思っていたら、Radikoでナイツと久米はんがべた褒めしていたので、結局チケット購入。
そもそも、町山はんが絶賛していたので、観る気ではいた。
今日は気が乗らなかっただけ。しかし、外野の圧力に負けた格好。
そして、アカデミー本命と目されている。

して、本作なのだが。

本作公式サイトの解説を読むと、〈アナモフィックレンズ〉を使っている、とある。
詳しくは私も知らないが、〈シネスコープ〉サイズの上映を実現するためのガジェットと言っていいと思う。
ご覧になった方なら、地デジで見慣れた16:9のサイズとかなり異なる印象を持たれたであろう。
そして、如何にそのレンズ特性を生かした撮影が行われているのかもお気づきになったであろう。

一眼デジカメの世界でも、16-35ミリクラスの広角レンズの扱いは結構大変なのである。
広範囲を撮影できるために、カメラそのものの傾きがもろに撮影結果に反映されてしまい、これを失敗すると、締まらない絵面になってしまう。

片や、本作のフレーミングの神加減と言ったら、もう脱帽物である。
脱帽したついでに、もうひとつの被り物まで脱げてしまうほどである。
幅広のスクリーンの隅から隅までを生かしたコンテが多用されているのを感じた方も多いだろう。

しかし、一方、35mmフィルム撮影の弊害なのか、フレームレートのそれなのか、対象の動きにカメラが付いていけないシーンがあったり、(敢えて?)撮影用の照明を焚いていないため、役者の表情が読み取れない、といったシーンが多発。
それはオープニングの高速道路であり、ロスアンゼルスの高台で、主人公二人が恋仲に落ちていくシーンでもある。
〈セバスチャン〉が人生の軌道修正をし、そのルート変更の手段として選んだバンドのライブシーンの出来の良さと比しても、明らかに失敗ではないかと思うし、興を削がれる結果となっている。

尤も、根源的な印象を吐露すると、〈主役二人(ライアン・ゴズリングエマ・ストーン)のダンスシーンって、そんなに良かったか? 問題〉であり、学生時代に「雨に唄えば(原題・Singin' in the Rain)」にどっぷり嵌った者としては、ジーン・ケリーデビー・レイノルズ、そして、ドナルド・オコナーの超絶技巧を見せ付けられた身として、どうしても今作のダンス演出は「ぬるい」と感じてしまう訳です。
オマージュ的演出の多用を含め。

また、本作を観賞した、女性陣は結構イラッとしたんじゃないですか。
明らかに、エマ・ストーン演じる〈ミア〉は駄目な女子として描かれているし、あれじゃあ、いくらなんでも、〈セバスチャン〉が哀れだと思うのは私だけでしょうか。

そして、これは観た方みんな、どう思うんだろう。〈ジャンプ〉の打ち切りマンガじゃあるまいし、突然の〈5年後〉、そして、ラストの〈if回想〉です。
〈ミア〉は〈セバスチャン〉のフォローもあって、俳優としてのサクセス・ロードを・・・という時点で、選択肢が用意されています。
そして、その〈if回想〉の前段までに、二人がそれぞれの道を選択していることが提示されます。
私には、あの〈if回想〉をあそこに持ってきた意図がいまひとつわからないのです。
冒頭に書いたとおり、気持ちが沈んでいるからなのかもしれません。
だって、あれって(if回想の発信元って〈セバスチャン〉でしょ)、へたれ男子の妄想じゃん。
正直気持ち悪いです。元カノの旦那が自分だったらってことでしょ。引くわあ。
そこは、お互いの気持ちがシンクロして、結局は別々の道を選ぶことになった主人公二人の心象でしょ、と解釈できなくもないけどね。
上映後の女子二人連れの感想が耳に入ったけど、「結局二人が別れた説明がないじゃん」ってことに繋がります。

一応、フォローとして、〈オーダーどおりではないセバスチャンの演奏〉に喝采が浴びせられるという演出はなされてはいますが、それって彼の〈ホーム〉だしね。

ジェンダーの話としてまとめたくはないけど、思うに、〈セバスチャン〉という〈男目線〉から語られている作品だな、とは思いました。
先に書いた〈if回想〉の件も含め、ナルちゃん男子は観ていて気持ちいいかもしれない。
でも女子はどう思うんだろう。
女子と観にいって、語りたいものだのう。

プラネタリウムでの〈空中もしくはスペース〉シークエンスも含め、すべてひっくるめて、〈ファンタジー〉で片付けるには惜しい作品ではあるが、登場人物の〈心の襞〉にいま一歩踏み込んで描けなかった(提示できなかった)本作は、ミュージカル的演出として、主人公の心情を〈歌〉でフォローはしているものの、その要素込みで、これで良かったの? と思う作品でありました。字幕を追う作業も影響してるかな。

モットモ、アニメで爆発的興収を叩き出している日本の彼作はこれと真逆で、劇伴がこの役割を果たしているので、だから鼻に付くんです。

ミュージカルの要素で、往時を凌駕できず、お話自体も、目新しさはない。
悲しいのは、劇中で、「理由なき反抗」をリバイバル上映していた劇場が、小火(ボヤ)をおこして廃業に追い込まれる件。
前述したフィルム上映館の機微をフィーチャーしたエピソードとは思いました。

【2月27日追記】
ゴメン、前述も何も、前述してなかったわ。
フィルム上映館の機微ってのは、主人公二人が「理由なき反抗」を(その直前までのエピソード込みで)観始めたのにも関わらず、フィルム焼けの事故を起こし、上映中止となる、ってところです。
これ、二人の恋の行方の暗示ですからね、ってことを言いたかった。

さらに加えると、アカデミー、逃しましたね。
あの発表のアクシデントは、まさか、トランプへの当て付けじゃないよね。



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