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映画「怪物はささやく(原題:A Monster Calls)」を観た。


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映画「怪物はささやく(原題:A Monster Calls)」を観た。

英文学最高峰《カーネギー賞/ケイト・グリーナウェイ賞》W受賞のベストセラー映画化。
破壊と感涙のダーク・ファンタジー 映画『怪物はささやく

3歳の少年コナーは、難しい病を抱えた母親と2人で裏窓から教会の墓地がみえる家に住み、毎夜悪夢にうなされていた。
ある夜、コナーのもとに怪物がやって来て告げる。「今から、私はお前に3つの【真実の物語】を話す。4つ目の物語は、お前が話せ。」しかも怪物は、コナーが隠している“真実”を語れと迫るのだ。頑なに拒むコナー。しかしコナーの抵抗など意にも介さず、その日を境に夜ごと怪物は現れ物語の幕が上がる。
幻想的なおとぎ話のように始まり、予想を打ち砕く危険な結末に向かう3つの物語は、コナーの内なる衝動を突き動かし、彼自身を追い詰めていき──。
ついにコナーが4つ目の物語を語る時が訪れる。果たして彼が口にした、まさかの“物語”とは──?
その先に待つ“真実”が、激しく切なく胸を揺さぶる、圧巻の感動作。

原作は、カーネギー賞作家2人による異色の“コラボ”作。47歳の絶頂期にこの世を去ったイギリスの作家シヴォーン・ダウドの未完の遺作を、パトリック・ネスが引き継いで完成。英国史上初のカーネギー賞ケイト・グリーナウェイ賞のW受賞という快挙を果たし、世界中でベストセラーを記録した。
この物語に魅せられた『パンズ・ラビリンス』のプロデューサーが、『インポッシブル』で高く評価され、『ジュラシック・ワールド』の最新作も手掛けるJ.A. バヨナを監督に起用。フェリシティ・ジョーンズシガニー・ウィーバーら演技派が、コナー役の新星ルイスマクドゥーガルを支え、名優リーアム・ニーソンが怪物の声とモーションキャプチャーを演じる。(公式より)

GAGAはんの公式サイトは、最近の洋画サイトにありがちな情報の出し惜しみ(もしくは手抜き)による情報不足感を伴うものではなく、これから観る者や、menehuneのように原作の評判を全く知らない者が、観賞後に情報を補うために十二分に機能していると思う。

本作で出色の出来を示すのは、怪物が語る〈真実の物語〉を彩るアニメーション的演出であろう。水彩絵の具を思わせる美術的な演出がすばらしいと思う。

ただし、現実世界での出来事がことのほか上手に演出されないため、途中から見るのが苦痛になってくる点も挙げておきたい。
実は本作を観賞する観客の家族、特に母親との関係性や付き合い方が、本作を観た感想の度合いと大きく関係してくると思う。恐らく普段からその関係をないがしろにしがちな観客は、本作を観てもほぼ感動はしないと思うのだ。menehuneのように。
では、私自身は、なぜ本作を観に劇場に足を運んだのかというと、もう少し、ホラー的要素を感じていたためである。この予想(期待ではない)は完全にハズレとなるのだけど、そういう意味で本作の現実世界では余り驚くようなことが起きないのである。

特にポカーンとしてしまったのが、怪物から第3の物語を聞かされた後、主人公のコナーが取る行動の演出が弱すぎる箇所で、多分にゲイ的味付けがされているいじめっ子が反論しないあたりや、そもそも、コナーを演じる役者のアクトが弱いのだ。
彼の演技でいえば、第2の物語を聞かされた後にとる行動も若干ホラー的といえなくもないが、既に精神を病んでいるレベルであり、如何に彼のおかれている環境に同情はできても、若干の疑問を感じずにはおれない。

いい感じに老けてきた、我等のシガニー・ウィーバーはんやマム役のフェリシティ・ジョーンズはんなど、役者はコナー役の彼を除き、結構魅せるとは思う。
となると、本作の弱点は主人公のコナーの醸すものに同調できない点と、脚色面にあると思う。
コナーが吐露する〈4つ目の物語〉の真実が結構わかりづらいというのもそうだが、オーラスで、観客と、多分主人公のコナー君も、初めて〈あるもの〉をグランマから渡され、その中身を見ることになるのだけれど、あの後出しジャンケン感といったらない。

フライヤーや、公式などで、そのダークファンタジーにある種のホラーを期待していくと肩透かしを食らうと思う。ロッテンの評価も高い本作だが、私には合わなかった。




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