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アニメ「中二病でも恋がしたい!」11話雑感。


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アニメ「中二病でも恋がしたい!」11話雑感。

今話はコンテ三好一郎はん、と雑誌にクレジットされていましたけど、実際は小川太一はんでしたね。
こういうことって、よくあるんでしょうか。

私はこの11話。号泣させていただきました。
ここまで落としておいてーの、12話、最終回の昇華の具合が楽しみです。

追って週末に続きを書きます。

【12月16日追記】

まず、満面とはいかないまでも十花の笑顔が見れたのは良かった。
六花の「おねえちゃん・・・泣」は、見てるこっちも泣きました
そして十花の勇太に対してのハグ、頭を撫でる仕草など、天然系お姉さんキャラなんですね。勇太も十花から見たら可愛い弟のようなものなのでしょう。
ただ、今までずっとパンツルックだった彼女が見せた生脚の描かれ方はあまり綺麗じゃなかったですね。
だからパンツだったのかってわけじゃないと思う。ただ作画がプアなだけ。BDでは修正ヨロ。

丹生谷の凸守に対する抱擁&ここでも頭を撫でる仕草など、彼女の行動はそこかしこで「大人」の対応に見えますが、六花の生い立ちを理解している、していないで、行動の動機が変わってきます。
学園祭のあの弁当の場面で、勇太がどこまで皆に喋ったのか、見ているほうはわからない(推測も出来ない)ので、単に中二病を卒業した者の行動、と解釈していいのか戸惑いますね。

六花が列車の座席で呟いたのは「勇太・・・」なんでしょうね。私はそう読唇しました。
言ってしまえば、勇太はここまで、実は蚊帳の外。六花の心情に沿った行動は何もしていないことがわかります。
橋の下でおにぎりを食べるシーン。

六花: 「ママ」がお父さんの墓参りに行きたいって言ってる。どう思う?
勇太: どう思うって?  六花はどうしたいんだ?
という問いに、六花は「 ママは」喜ぶ、と応えます。
勇太は「だったらそれでいいんじゃないか『六花が』そうしたいなら」、と応えてしまいます。
六花がそうしたいとは彼女も誰も言っていません。ここで勇太は六花の本心を見抜けません。

ママのためを思うとそうしなくちゃいけないと、私自身は仕方なく思っている。本心は行きたくない。

会話のあとの小指のタッチは「謎の彼女X」における卜部と椿の涎の交換と同じです。そう。装置・触媒です。
恐らく、六花は「本当の気持ち」を小指のタッチを通じて「勇太」と感じあえると思っています。
ただ、劇中で六花と勇太はその装置を通じてお互いの意思を(まだ完全には)疎通できていないのです。
ここでの勇太はその接触だけに気をとられ、ボーっとしているだけ。

ホームでの別れ際、勇太の微笑と六花の気づきの応酬については述べるまでもありません。
「意気地なし」の勇太の微笑と、その微笑に落胆した六花の心情を見事に捉えた演出です。わかりやすく書くと、電車に乗った後のふたりのやり取り。

勇太:「六花?」
六花:「あっ」(期待してる)
六花:「(再び)あっ」(改めて期待してる)
勇太:(逡巡して)微妙な笑み
六花:(目を見開き)えっ?そして失望。。。

列車の扉閉まる。
六花は何を言って欲しかったのでしょう。どんなアクションを起こして欲しかったのでしょう、勇太に。
今回の勇太はホント「鈍感な意気地なし」的に表現されています。これも最終回への布石なんでしょう。

11話は展開が鬱で見たくねえ、みたいな意見が散見されますが、私はそうは思いません。
こんな展開自体がやはり装置であり触媒だからです。一度このフィルタを通さないと、最終工程での出来がイマイチになっちゃうんだから、むしろ喜んでって感じ。
当然ここまで落としといてからの、カタルシスが約束されているわけですから。と思いますねどね。

コメディ・タッチから一転シリアス展開、からのハッピー・エンディングを知らない子が多いのかな。
チャップリン「街の灯 City Lights」なんかは典型だよね。時間があるなら観た方がいい。。。泣くよ。

最終話は駆け足になりそうだし、京アニはんお得意のOPなしとかありそうだけど、楽しませてくれると信じて。

あと、左開きの本のISBNコードが裏表紙左上に書かれてるのは違う気が。







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