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menehuneの写真旅の記録。お気に入りの映画、書籍とアニメのインプレ、ライフハックもたまに更新。


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先行聖地巡礼が好きな訳。


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先行聖地巡礼が好きな訳

一番最初に先行聖地巡礼をやったのは、京都アニメーションはんにより、米澤穂信はん原作の「氷菓」制作が発表された翌年の2012年2月であると、menehune旅写真の過去のエントリに記録されている。そのときの模様はこちらでご覧いただけるのだが、当事は先行聖地巡礼と自分で言っていたことがわかる。どっちでもいいのだが、いま一度、この言葉の定義を述べておくと、アニメ作品が公開される前に、その舞台を巡礼する、という言葉通りの意味である。ナニ言ってんの? 先に行っても意味ないじゃん、と感じた方も多いだろうか。

では、一般的な概念としての「聖地巡礼」とは、どういう行為をさすか。簡単に述べると、アニメ作品がオンエアされたのち、その舞台となった街を訪れ、モデルとなった通りやお店、建築物等を見て回り、写真に収めるといった行為である。

最近、自分はこの「写真に収める」という行為に疑問を抱いています。大概の巡礼者は、聖地巡礼の際、被写体をどのように撮るでしょう。実は、自分も初めて聖地巡礼をした際はこれに近いことをしていました。あれは「けいおん!」の巡礼で京都・修学院界隈を跋扈していたころです。

フレーミングを作中のそれに合わせようとするんですね。私は当時からそれほど拘るほうではありませんでしたが、同好の御仁を見かけると、彼らはクリアファイルに入れたアニメ作中の巡礼対象をプリントアウトして持って来てるんですね。京都(けいおん!)でも、高山(氷菓)でも同じような方はいました。
宇治(響け! ユーフォニアム)周辺では少し進んで、デジタルデバイスに画像を落とし込んで持参し、それで画角を確認・修正しながらデジカメで撮影しているわけです。
結果、彼らのブログはどういうことになるかというと、アニメの画像と、自身で撮影した写真が、いかにシンクロしているか、という仕様になるわけです。

違和感というか、疑問を感じたのは、これらの「人が作ったものをトレースして発表する。それは楽しいことなのだろうか」ということなんですね。

じゃあ、地行先聖巡礼は、これとどこが違うかといえば、お気づきの通り、「トレースする対象がありません」という一言に尽きます。
ただし、それは視覚(画)情報がないだけで、「原作」という視覚情報(文字)はあるわけです。
その情報を頼りに現地に赴き、文字情報からアニメで描かれるであろう物件を写真に収めるのです。
この行為は大袈裟だけど「クリエイティブ」ですよ。
だって、京アニはんだって、制作に入る前にロケハンして、バシバシ参考写真撮って、ビデオ回して、そこから画を起こすんですから。
それとやってることは同じなんですよ。同じラインに立っている。武本はんや石原はんや山田はんとは一緒に回れはしないけど、自分なら原作の文字情報から「この街のどこを切り取るか」を探求し推理できるんです。そこに他者のトレースはありません。これが、自分が言う、先行聖地巡礼の醍醐味なんですね。

ブログに載せるなら、外れたときの恥は覚悟で、原作片手に先行巡礼した結果、アニメではこの物件が登場します、って自分でフレーミングした画像を載せる。よっぽど楽しいですね。こっちのほうが。

現在オンエア中の「響け! ユーフォニアム」原作では、ほぼモロ実名で巡礼物件が登場するので、若干先行巡礼の楽しみは薄まるが、「氷菓」の暗号のようにぼかされた物件巡りは楽しかった記憶が。しかも結構当たったからね。逆に全く外した先行巡礼は「甘城ブリリアントパーク」。
あれは原作の文字情報を全く無視して画作りしちゃったから当てるのはほぼ無理。制作サイドも「巡礼アニメ」にする心算がなかったと思われるし。

もちろん、作品を演出できるわけじゃないけど、こうやって作り手側の気分で旅できる先行聖地巡礼
わたし自身の仕事も、30年近く勤めていると、自身が創り出した何かを残したい、と思うようになるものです。自分は手ごたえのある結果をリーマン人生で残せたからいいけど、前任者の仕事を引き継ぎ、マニュアルどおり進めていってリーマンを卒業する人だっている。悪いとは言いませんが、創っちゃいないですよね。これと似ている気がします。

先行巡礼(似非ロケハン)は仕事じゃないから気も楽なんだけどね。今後も、専ら私はこっちのスタンスで巡礼を楽しみます。
以上、自分が、先行聖地巡礼が好きな訳でした。


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