いつの間にやら夏休み映画モードに、世の中移行していますね。
今週金曜日、2019年7月19日は、いよいよ新海 誠監督の『天気の子』公開です。
また、今週金曜日はライムスター宇多丸はんがラジオで評論する、ということもあり、またエンディングに賛否が分かれていると評判になっていたので、ピクサーアニメーション制作の『トイ・ストーリー4(原題:Toy Story 4)』を観てきました。 ©Disney
シアターはみなとみらいにこの春オープンしたばかりの〈KINO cinema みなとみらい〉です。作品のインプレと同時に、前回感じなかったこの劇場についても、感じたことを書いておきます。
『トイ・ストーリー4』の上映はシアター3で、他のシアター同様、客席の前から入退場する設計なのですが、前回鑑賞したシアター2と違って、外光を遮断する作りとなっています。念のため今日はシアター1の入り口も覗いてみたのですが、やはり、外光を防ぐ作りになっています。結論として、この劇場はシアター2だけがそのような設計にせざるを得ないという理由で外の明かりが漏れるようですね。
それと、前回観た『さらば愛しきアウトロー』は客の入りが良くなかったので気づかなかったのですが、今回観た『トイ・ストーリー4吹替版』は、「穴場」の〈KINO cinema みなとみらい〉でも9割方埋まっていたのと、客筋が威勢のいい子供とファミリー層が大半だったためでしょう。床や階段の段差の建付けの悪さが露呈してしまいました。もともと劇場として設計されたわけではない、この施設、床面や階段の防音と防振が徹底されていないのです。子供や若者が勢いよく移動すると、結構な音と振動が伝わってきます。これは一般のシネコンでは滅多に起こらない現象で、シネコンがいかに防音と防振に気を遣って設計・施工されているかが分かります。前回の記事でもここは「穴場」と書きましたが、思えば此処、みなとみらいは結構な世帯が暮らす街でもあるのだった。この手の人気作に関しては「穴場」に成りようがないんだろうし、却って客筋を考慮して避けるべき作品もあるだろうことを肝に銘じておきます。
さて、『トイ・ストーリー4』についてですが、吹替版だけでは見えない部分もある気がして、連休明けに字幕版も鑑賞してきました。ストーリーを公式サイトから紹介します。
【ストーリー】
“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?
過去観た作品群の記憶がかなりあやふやなので、気の利いたことは書けないけれど、それじゃまずかろうと思い立ち、『トイ・ストーリー3』だけを、アマゾンでレンタルして観返しました。全く物語を覚えていませんでしたね。
またいくつかのキャラクター関係を調べるためネットで調べ物もしました。
*物語の主人公、カウボーイで保安官の人形〈ウッディ〉と、磁器製の羊飼い人形〈ボー・ピープ〉は『トイ・ストーリー』『トイ・ストーリー2』から共演しており、ほとんどその関係は友人以上、恋人未満である。
*その羊飼い人形の〈ボー・ピープ〉は、『トイ・ストーリー3』で存在は示唆されるものの、一切劇中には登場しない。
*そして本作『トイ・ストーリー4』で、20年ぶりに再登場となった〈ボー・ピープ〉は以前までのおしとやかなドレス姿から別人のような勇ましいパンツルックに変身している。
*本作で登場する、彼らの持ち主である少女〈ボニー〉は、すでに『トイ・ストーリー3』で登場している!
通しでシリーズを観ておいたほうが、本作の鑑賞後の印象も変わってくるのでしょうが、覚えていなければ観ていないのと一緒です。結局、今回は『4吹替版』『3字幕版』『4字幕版』の順番で鑑賞したことになります。少なくとも、『トイ・ストーリー3』を観返しておかないと、本作『トイ・ストーリー4』の楽しさは半減してしまうでしょう。
それは冒頭のスピン・アラウンド・ショット(被写体を中心にカメラがクルクル回って周囲から撮影する手法。緩急をつけることで演出的な印象も変わります)を観れば明らかです。『トイ・ストーリー3』のディテールを覚えていればいるほど、すでにこのカットで泣く人続出のはずです(泣)。
ただ、少しずつですが、鑑賞していくうちに、なんだかもやもやした気持ちが湧いてきます。
まず、〈ボー・ピープ〉のキャラクターについてです。観ていて、「なんで、ボーのおでこがテカテカしているんだろう?」というmenehuneの疑問は解決されました。彼女は陶器人形だったからです。
「持ち主」のいないおもちゃとしての生き方を選んだ(?)のも、これまでの経験から居場所がどんどんなくなっていく寂しさや、このままではたらい回しにされて最後は捨てられてしまう、といった恐怖もあったと思われます。
だから、人形が勝手に布を裁断し、今風の女性らしさを体現するため、服を縫った、ということになります。待ってください。彼女は焼き物の陶器人形なんですよね? もちろん服装込みの。それともバービー人形のように、裸体の陶器人形があって、クローシングを換えることができるような仕様なんでしょうか。
結局、本作はジェンダーを意識したつくりとなっているわけで、脚本は女性の新人らしいですが、ここでもハリウッドは「強い自立した女性像」を強調したいのでしょうか。確かに画像検索すると、『1・2』の頃の〈ボー・ピープ〉は、杖はともかく、いかにも動きづらい(ワイヤー入りの)ロングスカートで鈍重に見えます。『1・2』は未見か、すでに観た記憶がないので、推測ですが、おそらく保守的なキャラクターだったのではないでしょうか。
玩具が実は生きていて、ヒトの目の届かない場所で縦横無尽に動き回るだけに留まらず、豊かな感情と行動原理を持ち合わせているなどと、いったい誰が信じよう。いや、信じまい。それでは彼らの創造主はいったい誰で、いかなる情動が彼らを動かすのか、ということになる。だって、この『4』で、終盤特に彼らが行ったことは、ヒトに対する反逆でしょ。〈ボニー〉と彼女の家族が乗る車、そして移動遊園地の観客に事故が起こらないという保証はどこにもなかったわけで、行き着くところは、『猿の惑星』なんじゃないかしら、と思わずにはいられないのですよ。
ピクサーというスタジオは、『カーズ』とかも作ってるわけです。車がしゃべる話。あれは世界に車しか存在しない設定なんでしたっけ。というか、自動車を擬人化しただけで、そのまま生身の人間が演じても物語は成立するのが『カーズ』って作品なんだと想像する(想像かよ!)。
そんなことを言い出したら、ピクサーの作るアニメーションは、虫や魚やネズミや死人(魂)がしゃべり、彼らの設定した世界観の下(もと)、生活を繰り広げるという、荒唐無稽なものだ(それを言っちゃお終いだけど)。何をいまさら、と突っ込む向きも多かろうが、この設定、ひとつボタンを掛け違えると、大変なことになる、という良い見本が、この『トイ・ストーリー4』ではないか、と思うのです。
つまり、話(ストーリー)のための話(設定)なわけで、そんな都合のいい「お話し」に乗れるかよ、ということになる。なんで玩具が喋って、猫が喋んないんだよ?
なんで、おもちゃが動いて、木や花や家具やお皿やその他もろもろは動かないんだよ? ということになる。「それはそういうお話だから」ということになる。
端的に言うと、ヒトとトイの関係性ですね。もっと言えば、トイが人の生活にどこまで干渉していいのか? ということです。本作の彼らはやり過ぎました。
スカンクの車もそうです。動力源は不明ですが、あれなら、そのうち彼らは「あとみっくぼむ」なんかも作れるようになるんじゃないでしょうか。今風の女性らしさを体現するため、自分で服を作ってしまえる技術があるんですから。末恐ろしいです。
なんせ彼らは食べなくても平気です。お金にも困りません。本作みたいに人間社会に干渉できるなら、無敵じゃないですか。うまく立ち回れば不老不死だし。いまのところ繁殖できないのが欠点ですが、わかりませんよ。自社工場で仲間を増やし、ヒトに反旗を翻す輩が現れるかもしれません。そうなったらもう『ターミネーター』です。
『ターミネーター』の例えが出たけれど、ほんと、「昔の名前で出ています」的に、過去の名作、ここで終わっとけばよかったのに、というのが多すぎますよね。
過去作のトイ(玩具)の本懐とは、「持ち主」への完全なる奉仕であるはずなのに、この「ヒトとのかかわり」を、本作では大きくパラダイムシフトしてみせたわけですが、そんなご都合主義が、物語として果たして成立するのでしょうか。いや、『トイ・ストーリー』だから成立するのかもしれませんね。
そこまでヒトに忠誠を尽くす必要があるのか? 誰によって創られたんだ、ということも忘れて、「私には私の生き方がある!」って何でしょう。彼らは何がしたいのでしょう。
ただ、オーラスの〈フォーキー〉のパートナーとなる(?)キャラクターの台詞は不思議ですね。「こっちが訊きたいわ⁉」という突っ込みは置いておきましょう。だってそういうお話だからでしょう?
あと細かい私見を。
吹替版を観て驚いたけれど、字幕が直なのね。制作者が日本語表記だし、アンティークショップも看板直書き。ほとんど吹替版を観ないので、驚きました。
そのアンティークショップで、シーンそのものを似せた、キューブリックの『シャイニング』へのオマージュがありましたね。乳母車に主人公たちが乗せられ、絨毯の上を移動するあたりです。『シャイニング』のエンディング曲 ”Midnight, with the Stars and You” が流されるあたり、狙ってますよね。最近、『シャイニング』オマージュって流行ってるんでしょうか。スピルバーグがこの間やってましたよね。
それから、ピクサー作品全般もしくはハリウッドのアニメーションで顕著なんだけれど、なんで登場人物、特に女性の尻があんなにでかいのかしらね。本作の〈ボー・ピープ〉についても、〈ボニー〉のママも、(いろんな意味で)ヒップラインが気になって仕方なかったです。これは、『トイ・ストーリー3』の〈バービー〉にも言えるのですけどね。
実生活でもバイカーであるキアヌ・リーブスが声を当てたカナダのスタントマン〈デューク・カブーン〉は、「笑わない男」と評する町山はんが反省しそうなはっちゃけっぷりで、前記の吹替版の直字幕問題(と敢えて書いておく)も含め、お勧めは字幕版ですね。