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岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』を読んだ。


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『珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』表紙若干のネタバレあります。

本作『珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』、まったくもって個人的なことですが、menehune自身の半生や生活と物語舞台が非常にリンクしていたため、とても集中して読むことができました。
偶然でしょうけれど、以前もここで書いたとおり、奥浜名湖(猪鼻湖)の三ケ日町は母親の生家がある地域で、幼いころから中学生くらいまで、横浜から連れていかれたものでした。
母親の幼馴染の家がうなぎ屋を営んでいたりして、うなぎはもちろんですが、蟹が美味しいところで、母の兄がよく茹でてくれました。もちろん当時から〈三ヶ日みかん〉は名産でした。
浜名湖は塩湖(汽水湖)です。猪鼻湖の海岸線はおおむね岩場で、砂浜などはありませんでしたが、よく従妹たちと泳いで遊んだものです。
潮だまりで〈タツノオトシゴ〉を見つけたこともあります。
そんな三ヶ日町が舞台の一部なものですから、のめり込まないわけがありません。
前作5巻が、舞台が宇治なのは良かったのですが、テーマを紫式部に置いてしまったため、ほぼ読後の印象が残っていないのとは正反対です。

 
本作の舞台は京都市内から浜松、そして三ケ日町へ。さらに京都の日本海側、天橋立へと目まぐるしく展開します。ある程度まとまった予算は必要ですが、うまくのめり込めれば、巡礼もしてみたくなるかと思います。ただ、menehuneのような立場の読者はごく限られるでしょうから、浜松から三ケ日にかけてのパートはだれるかもしれませんね。
また、往年の『タレーラン』における日常の謎の解決とは遠くかけ離れた、男女の逢瀬がテーマですから、そんな人の心情など知らんがな、と思えてしまう側面は多々あると思います。さらに、〈大叔母〉に心酔するあまり、つい感情的に破綻をきたしそうになるヒロインの〈美星〉の姿勢には相応の違和感を覚えたりもします。このあたりの彼女の心情は4巻で言及されていたのでしょうが、すでに忘却の彼方です。
それにしても、彼女はよく傷害事件に巻き込まれますね。

109ページの最後から3段落目、「影井と千恵の息子すなわち恵一の一家が、、、」という件。これ、句点が入っていないので、どちらともとれるんですよね。これだと、〈恵一〉は、〈影井〉と〈千恵〉の間に産まれた子とも取れます。これだと物語が崩壊しますよね。ここは、「影井と、千恵の息子、すなわち恵一の一家が、、、」とでもするべきでしょうかね。もっとも、この先の文章を読むと、この2人の間の子ではないことがわかるんですけれどもね。もっとも、これでは〈藻川氏〉の立場がありませんが。

さらにいうと、〈影井〉の絵のモチーフが明かされるネタあかしの部分で、フィルムカメラの必須要素の「あるもの」を持ってくるのはいいんですが、結果として、それがコーヒーカップだったという点については、ちょっと肩透かしを喰らった感じです。それが〈藻川〉が割ってしまった〈千恵〉のコーヒーカップっていう、話の持って行き方が強引すぎるかなと。〈小原〉というキャラクターは、優秀な狂言回しのはずが、最後に大どんでんして見せるわけですが、ちょっと親の描き方がご都合的すぎるかもしれません。いくら田舎だからって、挨拶くらいはするでしょう。

しかし、着地はきれいにまとめられており、これでこのシリーズも完結でもいい気がします。〈美星〉のツンデレ告白がここ数巻は聞けないのが残念ですけれど、もっと残念なのは、『タレーラン』シリーズがここまで来るのに多くの時を費やしすぎただろう点です。
それは米澤穂信はんの『古典部シリーズ』が「学年」という、時の流れをとどめておける担保を実装している点と真逆といえるでしょう。いくら続巻の発行が遅れても、読者と筆者の間で「学年」という楔が撃ち込められたままなので、その時点から物語を再開できるというわけです。かたや、このシリーズはどうでしょう。
端的に言って〈美星〉と〈アオヤマ〉の関係性が、物語世界と実世界の3年間という時間のはざまで非常に掴みずらいものとなってしまった、ということです。
そうであるからこそ、いったん、本作でああやって締めたのは腑に落ちました。
本当に告っちゃった『遠回りする雛』ですものね。

これも往年の大プッシュだった書店の派手なPOPも一切見かけませんし、宝島社の中でのポジションも、この3年で変わってしまったのかもしれません。
実は既刊の5冊を処分してしまっていたので確認できませんが、岡崎はん自身の「あとがき」が今まではあったような気がしますが。その代わりの、エピローグは要らなかったかな。あれはもうホラーでしょ。

京都府の南と北、そして三ヶ日町までを駆け抜けた、岡崎琢磨はん『珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』は、5巻で(私的には)滑った物語を、読みやすいスタイルに戻して帰ってきた印象です。これで完結するならそれもよし。
続刊があるとしたら、すでに2人は同棲している、もしくは入籍しており、夫婦探偵(めおとたんてい)として謎に挑む、とでもなりそうだが、その「謎」をどう設定するのかが一番の大仕事になるのは間違いないでしょう。

次回は久しぶりに、珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』聖地巡礼、妄想の旅(6)として、旅先の模様を公開します。

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